「戦争論」の版間の差分

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日本に初めて伝えられた時期については諸説ある。既に幕末の頃に江戸城の御蔵書のなかに含まれていたという説、蘭語訳されたものを[[西周 (啓蒙家)|西周]]が持ち帰ったという説、長崎の出島を通じて入手した説などがあるようである。
 
しかし、本質的にそれが、戦争哲学を学ぶ書であるというものが理解され、軍人達の間でその存在が理解されるようになったのは、[[森鴎外|森林太郎]](森鴎外)によってである。森が留学中に留学仲間と輪読していたことからもあわせてみても、戦争論の紹介者としての森の地位は揺るがない。また軍内で戦争理論の徹底を図り[[軍人勅諭]]の作成等一定の成果をあげた[[田村怡与造]]も見逃せない。
 
その後、多くの翻訳が出されており、馬込健之助(淡徳三郎)、[[篠田英雄]]、[[清水多吉]]、日本クラウゼヴィッツ学会訳などが出版されたが、現在、邦訳で入手可能なものでは、清水多吉訳、日本クラウゼヴィッツ学会訳版が、最も原本に忠実なものとなっている。