「オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア」の版間の差分

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[[1866年]]ボストンで[[弁護士]]として勤務する傍ら、母校で講義をし、[[1882年]]ハーバード・ロー・スクール教授に就任。
 
[[1881年]]、『コモン・ロー』を出版。「法の生命は論理ではなく、経験であった。」との一言は有名。[[グラント・ギルモア]](Grant Gilmore)によれば、[[クリストファー・コロンブス・ラングデル]]と共に[[法形式主義]](Legal Formalism)の代表の一人ともされるが、そのような見方に反対するものも多く、[[社会学的法学]]の祖ともされる。生涯にわたって哲学書は一冊も書かなかったが、形而上学クラブのメンバーの一人で[[プラグマティズム]]で著名な[[ウィリアム・ジェイムズ]]らと親交があった<ref>鶴見、2008、pp105-118</ref>
 
[[1899年]]マサチューセッツ州最高裁裁判所判事に任命。
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[[金子堅太郎]]の家庭教師も勤めた。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
*[[伊藤正己]]・[[木下毅]]『アメリカ法入門(4版)』([[日本評論社]])
*[[阿川尚之]]『憲法で読むアメリカ史』(PHP出版)
*[[鶴見俊輔]]『アメリカ哲学(戦後日本思想の原点)』(こぶし書房)2008
 
== 関連項目 ==
*[[明白かつ現在の危険]]
*[[アメリカ合衆国憲法修正第14条]]
*[[金子堅太郎]]
*[[プラグマティズム]]
*[[ボールズブラフの戦い]]
*[[明白かつ現在の危険]]
 
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