「ウォール街大暴落」の版間の差分

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この株式の崩壊を表すために、「ブラックサーズデー」、続いて「ブラックフライデー」、「ブラックマンデー」および「ブラックチューズデー」の4つの段階が通常使われている。大暴落は1日の出来事ではなかったので、この4つの段階はすべて適切である。最初の暴落は[[1929年]][[10月24日]]木曜日に起こったが、壊滅的な下落は[[10月28日]]月曜日と同29日火曜日に起こり、アメリカ合衆国と世界に広がる前例の無い、また長期にわたる経済不況の警鐘と始まりに急展開した。株価大暴落は1か月間続いた。
 
経済学者や歴史家達はこの株価大暴落がその後の経済、社会および政治のできごとにどのような役割を演じたかについて意見の一致をみていない。「[[エコノミスト]]」誌は1998年の記事で、「手短に言えば、'''[[世界恐慌]]'''は株価大暴落と共に始まったのではない」と主張した<ref>[http://www.economist.com/finance/displaystory.cfm?story_id=E1_TGVSDT Economics focus: The Great Depression] ''The Economist''</ref>。さらに大暴落の当時に、世界恐慌が始まったのかどうかは明らかではない。1929年11月23日、「エコノミスト」誌は、「大変深刻な株価大暴落が工業生産の大半が健全でありバランスが取れていたときに工業に深刻な後退を生むだろうか?...専門家は、幾らかの後退はあったに違いないが、それが長引くものか、全体的産業不況を生み出す期間まで続く必要があったかを証明する十分な証拠が無いことに同意している。」と問いかけた。しかし、「エコノミスト」誌は、「幾つかの銀行は疑いも無く破綻し、また今後も予測されている。このような状況下で銀行は商業と産業の資金を繋ぐ余力があるだろうか?ないだろうか?銀行の位置付けは疑いも無くこの状況下のキーであり、何が起ころうとしているかは霧が晴れるまで適切に評価できるはずがない」とも警告した<ref>[http://www.economist.com/finance/displaystory.cfm?story_id=12327393 Reactions of the Wall Street slump] ''The Economist''</ref>。
 
1929年10月の大暴落はアメリカ合衆国における不動産価格の低落時期(ピークは1925年だった)に来ており、[[先進国|工業化諸国]]における経済後退時期である'''[[世界恐慌]]'''に導く一連の出来事の始まりに近い時であった。
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大崩壊の当時、[[ニューヨーク]]市は世界の大都市となり、その[[ウォール街]]は世界の指導的[[金融センター]]の一つになった。[[ニューヨーク証券取引所]]は世界でも最大級の株式取引所だった。
大暴落に先立つ10年間、すなわち[[狂騒の20年代]]<ref>[http://business.timesonline.co.uk/tol/business/economics/article3602690.ece America gets depressed by thoughts of 1929 revisited] ''The Sunday Times''</ref>は、都市における富と過剰の時代であり、投機の危険性について警告があったが、多くの者は市場が高い価格水準を維持できるものと信じた。1920年代半ばから上昇を続けたダウ工業株平均は、1928年から1929年にかけて急速に上昇し、アメリカの一部に株投資ブームを起こしていた。1929年の夏以降には工業指標は下向きはじめ、株高を危ぶむ声もあったものの、ウォール街や経済学者の中にはこれを一蹴する意見もあった。大暴落の直前、経済学者[[アーヴィング・フィッシャー]]、「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」という有名な予言を行っていた<ref>{{cite web|url=http://www.cfo.com/article.cfm/9059304/c_9064230 |title=The Bright Side of Bubbles - CFO.com |publisher=Cfo.com |author=Edward Teach - CFO Magazine |date=May 1, 2007 |accessdate=2008-10-01}}</ref>。しかし、大きな強気相場の中での楽観論と金融上の利益は、ニューヨーク証券取引所の株価が崩落したブラックサーズデーに雲散霧消した。この日に落ちた[[株価]]はさらにまるまる1か月間前例のない率で落ち続けた<ref>{{cite book
| last = Hakim
| first = Joy
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ダウ工業株平均が6年間上がり続けて当初の5倍になり、[[1929年]][[9月3日]]に最高値381.17を付けた後で<ref>{{cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/amex/crash/timeline/timeline2.html|title=Timeline: A selected Wall Street chronology|publisher=[[PBS]]|accessdate=2008-09-30}}</ref>、市場は1か月間急降下し、下げ初めから見れば17%下落した。
 
株価はその後の1週間以上にわたって下げ幅の半分を回復したが、その直後にまた下落するだけだった。下げ基調は加速し、1929年10月24日のいわゆるブラックサーズデーまで加速していっを迎えた。その日は当時の記録破りとなる1291,290万株が取引された。
 
同日(10月24日)午後1時、ウォール街の幾人かの指導的銀行家が取引所での恐慌と混乱に対する解決策を見つけるために落ち合った<ref>''The Great Depression'', by Robert Goldston, pages 39-40</ref>。この会合には[[JPモルガン・チェース|モルガン銀行]]の頭取代行トマス・W・ラモン、チェイス国定銀行頭取のアルバート・ウィギン、および[[シティバンク、エヌ・エイ|国定ニューヨーク・シティバンク]]社長のチャールズ・E・ミッチェルが出ていた。彼らは取引所の副会頭リチャード・ホイットニーを彼らのために働く者として選出した。ホイットニーはその背後に控えた銀行家達の財務力をもとに、市場価格よりもかなり高い価格で[[USスチール]]株を大量に購入する注文を出した。トレーダー達が見守る中で、ホイットニーは続いて他の[[ブルーチップ]](優良株)銘柄に同じような買い注文を出した。この操作は1907年恐慌を終わらせた戦術に類似しており、その日の崩落を止めることに成功した。しかし、この時に一息ついたものの一時的なものに過ぎなかった。
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多くの学会人は1929年ウォール街大暴落を一時的活況の新しい理論の一部である歴史プロセスの部分として見ている。[[ヨーゼフ・シュンペーター]]や[[ニコライ・コンドラチエフ]]のような経済学者に拠れば、この大暴落は単に[[景気循環]]と呼ばれる継続するプロセスで起こったひとつの歴史的事件に過ぎないとしている。大暴落の影響は単に景気循環が次のレベルに進行する速度を速めたのだと言っている。
 
一方、[[ミルトン・フリードマン]]はアンナ・シュワルツとの共著、『アメリカ合衆国の金融史』で、「大不況」を深刻にしたのは景気循環の下降線、保護貿易主義あるいは1929年の株価大暴落ではなかったという主張を行っている。その代わりに国を深刻な不況に陥れたのは、1930年から1933年に続いた3波の恐慌の間に起きた金融システムの崩壊だった、と主張している<ref>[http://www.washingtontimes.com/news/2008/may/12/panic-control/ Panic control] ''The Washington Times''</ref>。
 
== 脚注 ==
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* Brooks, John. (1969). ''Once in Golconda: A True Drama of Wall Street 1920-1938''. New York: Harper & Row. ISBN 0-393-01375-8.
* Galbraith, John Kenneth. (1954). ''The Great Crash: 1929''. Boston: Houghton Mifflin. ISBN 0-395-85999-9.
** [[ジョン・ケネス・ガルブレイス]] (著), 村井 章子 (翻訳) 『大暴落1929』 日経BPクラシックス ISBN 978-4822247010
* Klein, Maury. (2001). ''Rainbow's End: The Crash of 1929''. New York: Oxford University Press. ISBN 0-195-13516-4.
* Klingaman, William K. (1989). ''1929: The Year of the Great Crash''. New York: Harper & Row. ISBN 0-060-16081-0.