「アテーナー・ニーケー神殿」の版間の差分

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[[ファイル:Temple of Athena Nike reconstruction.gif|thumb|right|300px|神殿の再現図]]
'''アテーナー・ニーケー神殿'''(アテーナー・ニーケーしんでん)は[[ギリシャ]]の'''[[アテナイのアクロポリス|アテネのアクロポリス]]'''にあった[[アテーナー]]を祭った神殿である。[[ニーケー]]は[[ギリシア語]]で「勝利」を意味し、知恵の神としての[[アテーナー]]をアテーナー・ニーケー (Athena Nike) として祭っていた。アクロポリス上の最初期の[[イオニア式]]神殿で、アクロポリスの入口([[プロピュライア]])の右、急峻な稜堡の南西角に位置していた。ここで市民は長く続いた[[スパルタ]]との戦争([[ペロポネソス戦争]])の勝利を祈って女神を祭った。アテーナー・ニーケー神殿は[[アテナイ]]がギリシアの主要な[[ポリス]]となる野望を表したものだった。神殿はアクロポリスへの大階段の南の側面上の稜堡最上部にあり、そこがアテーナー・ニーケーの聖域とされていた。[[プロピュライア]]から入ったところにある壁で囲まれたアクロポリス本体の聖域に対して、ニーケーの聖域はプロピュライアの南西翼から、および北の狭い階段から入れるようになっていた。稜堡の急峻な壁は北面、西面、南面に手摺があった。手摺の[[フリーズ (建築)|フリーズ]]には[[ニーケー]]が勝利を祝い[[アテーナー]]に生贄を捧げている様子が描かれており、「ニーケーの手摺 (Nike Parapet)」と呼ばれていた。
 
== 建築と彫刻 ==
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* [http://www.reconstructions.org/mor/pages/frames/mor_nike/mor_nike_frame.html Digital reconstruction drawings of the Temple of Athena Nike]
 
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[[Category:古代ギリシアの建築]]
[[Category:宗教施設]]