「ポーランド・リトアニア合同」の版間の差分

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主な合同は以下の通り。
 
*1385年 - [[クレヴォの合同|クレヴォ合同]]…[[リトアニア大公]][[ヨガイラ]]を[[ポーランド王|ポーランド王位]]につけた際の[[同君連合|人的同君連合]]。[[ヴィトルトータウタス]]の反乱により、1392年、ヨガイラからヴィトルトータウタスへの主権を除く統治権が渡された。その後1398年10月、ヴィトルトータウタスによるドイツ騎士団との和議により合同は解消される。
*1401年 - [[ヴィリニュス・ラドム合同]]…反ヴィトルトータウタス派の代表だったヤドヴィガの死によりヴィトルトータウタスにより再度交渉。[[リトアニア大公国]]への(ヨガイラではない)ヴィトルトータウタスによる主権を再確認した。
*1413年 - [[ホロドウォ合同]]…[[紋章]]に関する合同。[[シュラフタ]](ポーランド貴族)の持つ権利の大部分をリトアニア貴族のうちカソリック改宗者に適用する。初めてヴィトルトのみに依存しない、リトアニア大公国自体の自主権が認められた。
*1432年(1432年 - 1434年) - [[グロドノ合同]]…宣言によってリトアニア大公国及びカソリック以外の貴族を弱め、結合をさらに強めようとする試み。