「ポール・ストッダート」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
31行目:
 
[[2002年]]末、ストッダートはヨーロピアン航空を売却し、オランダの浴槽・トイレ製品製造企業であるウィラックス(Wilux)を新たにタイトルスポンサーに迎えた。しかし、[[2004年]]の[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]直前に同チームで長年にわたってスポーティング・ディレクターを務めていた[[ジョン・ウォルトン]]が心臓病により亡くなり、それに弔意を示すべく同GPにおいて全てのスポンサーロゴを事前の通知もせずに外してしまったことで、ウィラックスの逆鱗に触れ、支援が打ち切られるという事態に陥ってしまった。これにより、再びチームは窮状に陥り、オーナーであるストッダート自身が自身のF1カーコレクションを売却するなどの方法すら用いつつ、ミナルディは厳しい財政事情の下で数シーズンを送り、[[2005年]][[9月12日]]、ストッダートはチームを[[オーストリア]]の飲料会社[[レッドブル]]のオーナーである[[ディートリッヒ・マテシッツ]]に売却すると発表し、F1の世界から去った。
 
=== 評価 ===
当初の疑惑の声に反して、ミナルディチームに対するストッダートの姿勢は真摯をきわめ、前オーナーでチーム創設者でもある[[ジャンカルロ・ミナルディ]]の意思や、自身が指揮する以前のチームの気風を尊重し、それらに対して決して敬意を欠かなかったこと、同時代の[[エディ・ジョーダン]]、[[アラン・プロスト]]といった他チームの新興オーナーらと異なり、自らの資産を削ってまでチームの屋台骨を支えたことなどから、ファンの間でも支持は厚く、ジャンカルロ・ミナルディに並び新興のオーナーの中でも特に敬意を集めた人物といって差し支えない。また、オーナーとしてチームを掌握した以降もチーム名を「ミナルディ」のまま存続させ、チーム創設者であるジャンカルロ・ミナルディをチームの要職に残すなど、強引なやり口が目立つ一方で浪花節の利くチームオーナーとして評価された。
 
== その後の動向 ==