「メギドの戦い (紀元前609年)」の版間の差分

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'''メギドの戦い'''とは、紀元前609年に[[ネコ2世]]の[[エジプト第26王朝|エジプト]]およびその同盟国である[[アッシリア]]と[[バビロニア]]が北[[シリア]]の[[カルケミシュ]]で戦った[[カルケミシュの戦い]]に関連して起こった、エジプトと[[ユダ王国]]との戦いである。エジプト軍がカルケミシュに到達するためには、ユダ王国の支配領域を通過する必要があり、ネコ2世はその許可をユダ王[[ヨシア]]に要請した。理由は不明であるが、ヨシア王はその許可を与えず、そして戦いの名前はが起こり、ヨシアはその戦いの中で死んだ所から取られた。この戦いは、[[聖書]]、[[第1エズラ書]]および[[ヨセフス]]の著作に記録されている。
 
==聖書での記述==
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==戦争の場所==
[[Image:Tel megido.JPG|right|thumb|300px|[[メギド]]南東からの航空写真]]
都市の辺りの地形より、メギドの位置は何千もの軍隊に対応するのに十分な大きな海岸の平野近くの小さな高台であることが明らかとなっている。周辺地域の支配がなく明らかな目標となるような地域ではではないが、それでも[[駐屯地]]としては有効であり、またキション川 ([[:en:Kishon River|en]])からの水源を持つ地でもある。これらの事は、ヨセフシアがバビロニアのメソポタミア人を攻撃する途中にあったエジプト軍を待ち伏せするためにイスラエル軍を隠すのにこの地形を利用した事を如実に説明している。
 
==余波==
この戦いによってユダ王国はエジプトの支配と影響下に入った。シリアと[[メソポタミア]]からの帰還時にネコ2世は、ヨシアの跡を継いでユダ王となっていた[[ヨアハズ (ユダ王)|ヨアハズ]]を捕らえて追放した。ファラオは王国に100[[タレント (単位)|タレント]]の銀と1タレントの金を課税し、エホアハズの異母兄である[[エホヤキム (ユダ王)|エルヤキム]]を王に任命した。ネコ2世はエルヤキムの名をエホヤキムと改名させた。エホアハズはエジプトで捕虜となり、彼は国外で死亡した初めての王となった。
 
==歴代誌下に関する議論==
エリック・H・クラインは、記述の正確性に関して意見が分かれていると説明している。一方でそれがヨシアによる不意打ちの正確な記述であると信じている学者もいる。他には、物語を「改変」したのは歴代誌のみではないと指摘する人々もいる。矢傷を負ったところからエルサレムでのヨシアの埋葬までの物語は、列王記上および下に記された、ヨシアの死より2世紀前のイスラエル王[[アハズ]]およびユダ王[[アハズヤ (ユダ王)|アハズヤ]]に関する記述と非常に似通っている。クラインは歴代誌のヨシアの話で物語においては、これらの話か物語に含まれる詳細記述が用い項目を使ったれていることを提唱示唆している<ref name=cline/>。
==出典==
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