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ガルシア・ラミレスは[[1136年]]にはリオハをカスティーリャに明け渡し、[[1157年]]には[[タラゴナ]]をアラゴンに明け渡し、さらにはカスティーリャの[[アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ7世]]の家臣だとも名乗ったりした。彼は全く無能であり、たびたび教会や修道院の収入の世話になっている。息子の[[サンチョ6世 (ナバラ王)|サンチョ・ガルシア・エル・サビオ]](賢王、[[1150年]] - [[1194年]])は学習熱心の末、政治家としても有能となり、ナバラを内外共に強固にし、多くの町に憲章を制定し、戦争でも負けなかった。
 
[[サンチョ6世 (ナバラ王)|サンチョ6世]](賢王)は娘[[ベレンガリア・オブ・ナヴァール|ベレンゲーラ]]を[[イングランド]]王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]と結婚させることに同意する。ナバラまで[[ピレネー山脈]]を越えやって来たリチャードの母親である[[アリエノール・ダキテーヌ]]がいくつもの峠を越えベレンゲーラを[[シチリア]]へと連れて行き、まさに[[第3回十字軍]]に身を投じんとする息子に引きあわせ、[[1191年]][[5月12日]]に[[キプロス島]]で二人は結婚した。彼女はイングランドに足を踏み入れなかった唯一のイングランド王妃である。
 
== フランス人王朝 ==
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