「イタリア本土 (古代ローマ)」の版間の差分

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[[File:Sesterius-Antoninus Pius-Italia-RIC 0746a.jpg|thumb|300px|アントニウス・ピウス帝時代に発行された通貨。裏面にはイタリアを擬人化した女神像が描かれている。]]
 
[[ユリウスクラウディウス朝]]、[[フラウィウス朝]]、[[ネルウァ=アントニヌス朝]]を経て[[セウェルス朝]]に入った辺りから、帝国の繁栄に陰りが見え始める。イタリア本土もまた、[[カラカラ]]帝が[[アントニヌス勅令]]によって全属州民を本国民とした事で、帝国本土としての立場が殆ど失われてしまった。セウェルス朝断絶後の三世紀の危機(軍人皇帝時代)は内乱と蛮族の侵入を招き、3世紀末には遂にイタリア本土にまで戦火が及ぶ様になった。
 
この様な状態で皇帝となった[[ディオクレティアヌス]]帝は新たな制度改革を推し進め、いわゆる[[テトラルキア]]制による帝国領土の4分割を行った。テトラルキアにより帝国の属州は4つの地方領へと分離され、また皇帝権も皇帝・共同皇帝(東方正帝・西方正帝)と二人の副帝(東方副帝・西方副帝)によって4つに分権された。