「セミパラチンスク核実験場」の版間の差分

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その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期の[[グラスノスチ]]により実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。
[[File:Test Nucléaire Semipalatinsk.jpg|thumb|right|130px|核実験の影響で誕生したと見られる[[奇形児]](PA Perron) [http://www.pbase.com/perrona/peoples_places_and_other_things_]]]
セミパラチンスクの核実験で120万人が被爆し30万人ほどが放射能の後遺症を受けているが、結局ソ連政府(宗主国ロシア)から補償はなく、ソ連時代には訴えを一切聞いてはもらえなかった。