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谷川の励まし、第36~37期王座戦ベスト4の件で追記
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1978年、中学3年生のとき、[[将棋のアマチュア棋戦|中学生名人戦]]で準優勝(優勝は[[達正光]])。翌1979年、高校選手権で3位となり、同年、[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入会。高校1年での入会は非常に遅い方であるが、3年余り経った1983年にプロ入りを果たす。
 
1985年度、[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]で棋戦初優勝(決勝[[番勝負|三番勝負]]の相手は[[森下卓]])。翌1986年度には[[若獅子戦]]で優勝。1987年度の第36期[[王座戦]]で[[南芳一]]、[[米長邦雄]]、[[真部一男]]を破りベスト4に進出した。翌1988年度の[[王座戦]]でも米長らを破りベスト4。しかし、当初は[[順位戦]]との相性は悪かった。1988年度の第47期順位戦C級2組では、勝てば昇級という最終局で逆転負けを喫する。しかし、兄弟子の[[谷川浩司]]から「報われない努力はない」と書かれた速達が送られるなどの励まされしを受け<ref>「[[将棋世界]]」([[日本将棋連盟]])2000年1月号付録</ref>、翌年、7期目の順位戦にして初の昇級を勝ち取る。
 
1993年度の第52期[[順位戦]]C級1組では、タイトル経験者の[[屋敷伸之]]、[[郷田真隆]]らを破り10戦全勝でB級2組へ昇級。さらに、1995年度、1996年度の順位戦では、2年連続昇級を決めて、一気にA級八段となる。なお、1995年度(9勝1敗)におけるたった1つの黒星([[1995年]][[12月22日]]、対[[藤井猛]]戦)は、井上が[[居飛車穴熊]]に組もうとしたところ、「[[藤井システム]]」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊の藤井システムの1号局)。当時、井上の居飛車穴熊は天下一品と言われていたが、それゆえ、藤井の標的にされてしまった<ref>藤井自身が[[将棋の時間|NHK将棋講座]]で講師を務めた際に語っている。</ref>。
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== 人物・エピソード ==
*兄弟子である[[谷川浩司]]の良き飲み友達である。また、谷川と同じく大の[[阪神タイガース]]ファンであり、谷川を特集した[[毎日放送テレビ|毎日放送]]『[[情熱大陸]]』では、[[甲子園球場]]で谷川と一緒に阪神を応援している姿が放送された。谷川は「タイガースに対する思いは井上に負ける」と語っている。日本将棋連盟関西本部からタイガース所属選手に名誉段位や賞状などを贈呈する際は、阪神タイガースのレプリカユニフォームを着用している。
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*[[1992年]]に結婚した妻は、かつて[[関西将棋会館]]の売店職員だった。
*[[羽生善治]]が[[1996年]][[2月14日]]に七冠独占を達成した6日後(2月20日)、[[オールスター勝ち抜き戦]]で井上が羽生に勝ち、「羽生七冠に初めて勝った棋士」として話題となった。