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| 英語名=Stanley Ho Hung-sun
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'''スタンレー・ホー'''('''何鴻燊'''、{{lang-en|'''Stanley Ho'''}}、[[1921年]][[11月25日]]-)は[[香港]]、[[マカオ]]の実業家。
 
香港およびマカオ等において数多の土地を所有すると同時に、娯楽、観光、船舶、不動産、航空、銀行など、多種にわたるビジネスを展開している。実に35年以上に亘ってマカオの[[ギャンブル]]産業界に君臨し続けており、同国における[[カジノ]]の経営権を長年独占していたというその様態をもって、時に『'''ギャンブルの帝王'''』、『マカオの盟主』と渾名されることもある。
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== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
13人兄弟の内の9番目の子として香港の裕福かつ有力な一族の家に生まれる。曾祖父は[[広東省]]出身の女性と結婚したユダヤ系オランダ人であった大伯父はその息子の一人が[[ジャーディン・マセソン|ジャーディン・マセソン商会]][[買弁|総買弁]]の[[:zh:何啟東|何東]]([[:en:Robert Hotung|ロバート・ホー・トン]]卿)。13歳で、スタンレー・ホー時、父(何東は伯父)が株価暴落等の影響で多くの資産を失う。その結果2人の兄が自殺しにあ上、父が家族を見捨てて蒸発残されたのスタンレー・ホー2人、[[何東]]姉と母、そして自身であった。かくして訪れた困窮る何福生活の内に、金持ちになるべく決心をする
 
[[何東|何東一族]]は英領香港時代における四大一族のひとつで、スタンレー・ホーは13人兄弟の9番目として生まれる。生家は富豪だったが、ホーが13歳のときに父が株価暴落などの影響で多くの資産を失う。その結果2人の兄が自殺した上、父は家族を見捨てて蒸発。母と2人の姉とともに残され、急速に生活が苦しくなった。この経験から金持ちになることを目指す。
 
香港の名門高等学校[[皇仁書院]]に学んだ。在学前半における成績は芳しくなかったが、次第に向上、ついには奨学金を得て[[1939年]]<ref name="r1">『アジアの億万長者―いかにして彼らは成功したか』 P.310-312 〔ISBN 4331508781〕 - [[ジェフ・ヒスコック]]</ref>に[[香港大学]]へ進学。専攻に加えて[[英語]]、[[日本語]]、[[ポルトガル語]]を学んだことで、これらを流暢に話すことができるようになった。ここで得たビジネスについての知識は後の実業家としての活動の上での大きな糧となったが、[[第二次世界大戦]]の勃発により学業の中断を余儀なくされた<ref name="r1"/>。
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* [[テディ・イップ]]
* [[ヴィヴァパタカ]](所有する[[競走馬]]。[[香港ダービー]]、[[クイーンエリザベス2世カップ]]等に勝っている)
*[[ブルース・リー]](俳優、[[何東]]の弟・何甘棠の孫)
 
== 外部リンク ==