「大塩平八郎の乱」の版間の差分

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Space123 (会話 | 投稿記録)
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大塩の挙兵は失敗に終わったものの、幕府の役人だった大塩が反乱を起こしたことは、幕閣の要人たちに、また幕政に不満を持つ民衆たちに大きな衝撃を与えた。 この乱の後に全国で同様の乱が頻発し、その首謀者たちは「大塩門弟」「大塩残党」などと称していた。また、最期の状況から「大塩はまだ生きている」「海外に逃亡した」という風説が流れた。身の危険を案じた大坂町奉行が市中巡察を中止したり、また同年[[アメリカ合衆国]]の[[モリソン号]]が江戸湾に侵入していたことと絡めて「大塩と黒船が江戸を襲撃する」という説まで流れた。これに、大塩一党の(遺体の)磔刑をいまだ行っていなかったことが噂に拍車をかけた。
 
幕府としても、叛徒が元役人で武士でもあり、遺体の状況をも鑑みた上での処置であったろうが、そのため余計に生存説が拡大してしまった。仕方なく幕府は、事件1年後に磔を行うが、それは塩漬けにされて人相も明らかでない遺体が十数体磔にされる、という異様な風景で、当然大塩本人の遺体の真贋判断などできるわけではなく、さらに生存説に拍車をかけることとなってしまった。<ref>漫画作品ではあるが、[[みなもと太郎]]の[[風雲児たち]]では、大塩はあえてそうなる事を意図し、火薬での自爆という最期を遂げたと描写された。</ref>
 
大塩の発した[[檄文]]は幕府に反感を持つ庶民の手で、取締りをかいくぐって筆写により全国に伝えられ、[[越後国]]では[[国学]]者の[[生田万]]が、[[柏崎]]の代官所を襲撃する乱を起している。