「人間学」の版間の差分

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[[エルンスト・カッシーラー]]の『象徴形式の哲学』、『人間』、[[ハンナ・アーレント]]の『精神の生活』もこの系列の仕事と看做される。国内で、この思想の流れの中で人間学を模索したのは、京都学派の高山岩男の『哲学的人間学』が代表的である。彼の後、この思想的な手がかりは、教育学の世界に引き継がれ、1970年代、ドイツで[[オットー・フリードリッヒ・ボルノウ]]らを中心にディルタイ系の教育学研究者の間で、教育人間学、人間学的教育学を巡る議論が活発化し、人間学への関心が国内でも再炎した。たとえば、森昭の『教育人間学』を筆頭に、下程勇吉などにこの方面の著作がある。
 
現代では、シェーラーの示した「ホモ・ファーベル」と「ディオニソス的人間」という人間像は、進化論と生の哲学が結び付くことによって、伝統的な西洋中心の理性的な人間像の転換反省を迫ったが、そを超えおりむしろ経験科学的な人類生物学的研究の影響のと結び付くことによって「欠陥存在としての人間」という全く新たな現代的な人間像が作り出されてしまった。哲学的人間学の現代的な評価はいまだ定まったものではないが、例えばヴァルター・シュルツは、哲学的人間学の根本規定の無意味化について触れている。
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フランスの[[ティヤール・ド・シャルダン]]、[[ガブリエル・マルセル]]らの人間学は、この流れとはまた別の出自のものである。