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[[ImageFile:CanberraUsaf.arpu2.750pix.jpg|200px|thumb|250pxright|[[イギアメ空軍]]の[[イングリッシュ・エレクトリックU-2 キャンベラ(航空機)|キャンベラU-2]]写真偵察機]]
'''偵察機'''(ていさつき)と、[[英語|英]]:surveillance aircraft)敵性地域などの状況を把握するために[[偵察]]など情報収集を行う[[軍用機]]([[航空機]]基本的に[[軍隊]]で軍用機として運用される事が多く、その場合は[[軍用機]]に分類される大半だが、なかには軍隊ではなく[[情報機関]]や[[準軍事組織]]が運用するものもある(例:[[中央情報局|CIA]]の保有・運用していた[[U-2_(航空機)|U-2]]高高度偵察機など)
 
偵察機は[[軍用機#軍用機の種類|軍用機の種類]]の中では最も古参であり、史上初めて本格的に軍事転用された航空機として[[第一次世界大戦]]に登場した。[[戦闘機]]や[[爆撃機]]は偵察機から事実上派生したものであり、以降偵察機は軍用機の歴史と共にあった([[#歴史]])。
 
== 概要 ==
[[Image:Canberra.arp.750pix.jpg|thumb|200px|イギリス空軍のキャンベラ]]
偵察の種類として、[[空中写真]]による[[偵察]]を行う''写真偵察機''(戦術偵察機)や[[シギント|電波を傍受]]する偵察を行う''電子偵察機''([[電子戦機]]の一種)などがある。また偵察機には開発当初から偵察機として開発されたもの、他の用途に使われていたものを改造したもの、偵察機材が収納された整形容器を外部装備して偵察を行うものなどがある。
[[2000年代]]現在、偵察機は[[空中写真]]や映像撮影による[[偵察]]を行う旧来の''写真偵察機''が主な種類であるが、[[シギント|電波傍受]]を行う''電子偵察機''([[電子戦機]]の一種)などもある。また、[[戦略]]的偵察任務に主に用いられるものを'''戦略偵察機'''、[[戦術]]的偵察任務に主に用いられるものは'''戦術偵察機'''と区分し称される。
 
世界各国において[[偵察衛星]]の利用は増大しているものの、柔軟な運用が可能かつ汎用性と信頼性の高い航空偵察に対する需要はいまだ根強い。偵察衛星は[[低軌道]]から[[静止軌道]]あたりを浮遊しているため、被撃墜などの恐れがほぼなく安全性自体は高いものの、偵察地上空の[[気象]]条件に大きく左右される([[霧]]・[[曇]]・[[雨]]などの場合には撮影が不可能ないし画像が不鮮明となる)。撮影写真(画像)の[[解像度]]も[[2007年]]現在のものでは50cm弱程度までとなる。一方、偵察機では気象条件に関わらず偵察地に接近して撮影することが可能で、精度の高い情報(鮮明な写真や映像)を得ることができる<ref>偵察衛星では地上からほぼ垂直の偵察になるため[[崖]]や[[峡谷]]、[[フィヨルド]]のような場所に横穴を掘り、そこに[[兵器]]を隠したり身を潜めたりすると発見することがとても難しくなる。偵察機は敵領域内まで侵入しなくとも付近を飛行するだけでも情報を得ることができる。</ref>。反面、当然ながら捕捉・攻撃・撃墜される危険性は高くなるため、特に戦略偵察機は高空を飛来し高速で飛行することと同時に長大な[[航続距離]]が求められる。
当初から偵察機として開発されたものでは[[アメリカ軍]]の[[U-2 (航空機)|U-2]]や[[SR-71 (航空機)|SR-71]]、改造されたものは[[航空自衛隊]]も装備する[[F-4 (戦闘機)#日本|RF-4]]、偵察ポッドを装備するものには[[F-14 (戦闘機)|F-14]]などがある。
 
[[File:Global Hawk 1.jpg|200px|thumb|left|アメリカ空軍の無人偵察機、[[RQ-4|RQ-4 グローバル・ホーク]]]]
現在、[[偵察衛星]]の利用は増大しているが、偵察衛星に比べ柔軟な運用が可能な航空偵察に対する需要がなくなったわけではない。
なお現在では、機体に搭乗し操縦や偵察を行う乗員を要しない'''[[無人航空機#無人偵察機|無人偵察機]]'''が注目を浴び、[[アメリカ軍]]や[[イギリス軍]]を筆頭に積極的に利用されるようになっている。無人偵察機は乗員スペースを必要としないために機体の大幅な小型化が可能で、これは[[レーダー]]に探知されにくくなる。また乗員の疲労を考慮しなくてもよいためより長時間の偵察が可能であると同時に、被撃墜などによる[[戦死]]・戦傷も防ぐことができる。従来の有人偵察機はこれら小型無人偵察機の母機として使用されることもある。
 
偵察機には計画段階から偵察機として開発されたもの(主に戦略偵察機。例:アメリカ空軍のU-2・[[SR-71 (航空機)|SR-71]])のほかに、元は他の軍用機(戦闘機や爆撃機など)や[[民間機]]であったものを改造し偵察機に転用したもの(例:[[ソ連空軍]]/[[ロシア空軍]]の[[MiG-25 (航空機)|MiG-25]]・[[Su-24 (航空機)|Su-24]]、[[イギリス空軍]]の[[イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ|キャンベラ]]、[[アメリカ海軍]]や[[航空自衛隊]]の[[F-4 (戦闘機)|F-4]]など)、他の軍用機に偵察機材が収納された整形容器を外部装備して偵察任務を行わせるもの(主に戦術偵察機。例:[[アメリカ海軍]]の[[F-14 (戦闘機)|F-14]]など)がある。また、偵察機はその任務特性から[[連絡機]]・[[観測機]]・[[哨戒機]]・電子戦機・[[COIN機]]・[[攻撃機|軽攻撃機]]・[[爆撃機|軽爆撃機]]などとも重複する場合もある。
偵察衛星によるものだと、[[低軌道]]から[[静止軌道]]あたりを飛んでいるため、撃墜される可能性は極めて少ないものの、気象に大きく左右されるために[[霧]]のかかった所や雨、曇りの日などは撮影できない。また[[解像度]]も2007年現在のものでは50cm弱程度までとなる。
 
== 歴史 ==
一方航空機では雨の降る中を近付いて撮影することも可能で、偵察衛星に比べ目標にずっと近いため解像度も良くなる。ただし当然ながら撃墜される危険性が高く、U-2のような超高空を飛行するもの(ただし結果として[[地対空ミサイル|ミサイル]]の発達により撃墜された)、SR-71や[[MiG-25 (航空機)|MiG-25]]のように超高速飛行で、敵機やミサイルを振り切るものが存在する。また敵領域内まで侵入しなくとも、領域付近を飛行するだけでも、偵察衛星に比べればより精度の高い情報が得られる。
[[File:Early flight 02562u (9).jpg|150px|thumb|right|[[1794年]]、フランスにて偵察機として使用されている気球]]
空中より周辺を[[監視]]することによる軍事上のメリットは明らかである。そのため、人類初の実用的空中飛行機材である[[気球]]が開発されて間もない[[18世紀]]末にはすでに[[フランス]]で偵察や観測目的としての使用が開始されている。実験的・冒険的な企図を除けば、航空機の最初の用途は偵察だといって間違いない。初期の航空機は移動や遊覧に常用するには危険と不確実性が高すぎるものであったが、軍用偵察の用途ではその高いリスクに見合う成果を提供できた。[[19世紀]]中頃に行われた[[南北戦争]]においても偵察用に[[水素]]気球が用いられている。以降、気球は[[列強]]各国軍において偵察および[[砲兵]]の[[野戦砲]]の着弾観測用として主に運用され、これはのちの「[[空軍|航空部隊]](空軍)」の原点であった。[[日本軍]]においても[[明治時代]]最初期から気球の研究は行われており、[[1904年]](明治37年)に開戦した[[日露戦争]]では、同年に[[編成]]された[[気球連隊|臨時気球隊]]が[[旅順攻囲戦]]などに実戦投入されている
 
[[File:Farman Shorthorn MF11.jpg|200px|thumb|left|創世記の偵察機、フランスの[[MF.11 (航空機)|MF.11]]]]
現在では、[[無人航空機|無人偵察機]]が注目を浴び、積極的に利用されるようになっている。従来の有人偵察機は、小型無人偵察機の母機として使用される事が多くなっている。
それら偵察・観測用気球の転換期として、[[20世紀]]初頭、[[1914年]]に開戦した第一次大戦では気球に代わって[[飛行機]]も使われるようになった<ref>飛行機(軍用機)は[[戦車]]・[[潜水艦]]などとともに同大戦において本格的に運用された新兵器であった。</ref>。当時の飛行機は誕生間もない時期であったが([[ライト兄弟]]による世界初の有人動力飛行は[[1903年]]12月)、その飛行機の初の実用任務が軍用機としての偵察機であった。登場当初は敵同士の偵察機パイロットが互いに手を振りあうような牧歌的光景も見られたが、やがて互いの偵察行動を妨害するために攻撃する状況になり、さらに[[機関銃]]([[航空機関砲|航空機関銃]])を搭載するなどこれは「戦闘機」の誕生となった。また偵察のついでに敵地に[[手榴弾]]や[[砲弾]]を改造した手製[[爆弾]]を落とすことも行われ([[爆撃]])、さらに本格的な航空爆弾や防御用[[航空機関砲|旋回機関銃]]搭載するなどこれは「爆撃機」の誕生となった。第一次大戦中後期には発達・進化したこれら軍用機により、激しい[[航空戦]]が行われた。
 
[[Image:RQ-2 CM2.jpg|thumb|250px|[[イラク戦争]]で使われた[[RQ-7 (航空機)|RQ-7]]]]
 
特に無人偵察機にする場合、人間が乗るスペースを必要としないために機体の大幅な小型化が可能で、[[レーダー]]に探知されにくくなる。また乗員の休憩時間を考えなくても良いため、長時間に渡る(極端に言えば燃料が切れるまで)偵察が可能である。これは軍用機としては大きなメリットである。
 
また[[偵察衛星]]では地上からほぼ垂直の偵察になるため、切り立った崖や峡谷、あるいは[[フィヨルド]]のような場所に横穴を掘り、そこに[[戦車]]などの兵器を隠したり身を潜めたりすると、探し出すのがとても難しくなる。しかし偵察機では地上から斜めの偵察が出来るため、そういった場所でも探し出すことが出来る。更に狭い場所の場合、上記の機体が小さくなることでメリットになる。
 
== 歴史 ==
空中より周辺を[[監視]]することによる軍事上のメリットは明らかである。そのため、人類初の実用的空中飛行機材である[[気球]]が開発されて間もない18世紀末にはすでに[[フランス]]で偵察機としての運用が開始されている。実験的・冒険的な企図を除けば、航空機の最初の用途は偵察だといって間違いない。初期の航空機は移動や遊覧に常用するには、危険と不確実性が高すぎるものであったが、軍用偵察の用途ではその高いリスクに見合う成果を提供できた。
 
また[[航空母艦]]や[[艦載機]]・[[水上機]]が実用化されると、[[海戦]]においても偵察機の役割は重要になった。敵を発見するのに目視以外に手段の無い時代において、敵がどこにいるのかを把握するには、実際に人間がそこに行くしかない。陸上であればそこに住む住人の駐留する監視要員からの通報によって敵の来襲を告げることができるが、何も無い海上の敵を探るには偵察以外に手段はない。従来の[[巡洋艦]]などの艦艇や船舶による偵察に比べて、航空機による偵察の優位は明らかであった。しかしながら[[レーダー]]の発達により、こうした艦隊の目としての偵察機の役割は終焉する
[[南北戦争]]においては偵察用に水素気球が用いられている。初期の航空機は能力が低く、飛行することのみしかできなかったために、乗員による目視偵察しか行うことができなかった。
 
[[File:Ki-46-IIArmyType100-55.JPG|200px|thumb|left|世界初の本格的な戦略偵察機、日本陸軍の一〇〇式司令部偵察機三型甲(キ46-III甲)]]
[[第一次世界大戦]]時には気球に代わって、[[飛行機]]が偵察機として広く使われるようになった。当時はまだ飛行機がようやく誕生したばかりの時期であり、その飛行機の初の実用任務が軍用偵察機であった。最初の頃は敵同士の偵察機パイロットが互いに手を振りあうような牧歌的光景も見られたが、やがて互いの偵察行動を妨害するために敵偵察機を攻撃する状況になり、[[戦闘機]]の誕生をみる。当時は[[爆撃]]や地上攻撃は実用化されておらず([[ドイツ]]の[[飛行船]]による爆撃は、単なる嫌がらせの域に留まっている)、主に味方偵察機の安全確保と敵偵察機の妨害のために、激しい[[航空戦]]が行われた。
第一次大戦後の[[戦間期]]には偵察機の需要はさらに高まり多くの偵察機が各国で開発され、さらに[[第二次世界大戦]]では開発・生産・運用ともにそのピークを迎えた。特に[[大日本帝国陸軍]]では、従来の偵察機と異なる操縦視界や自衛武装を犠牲にし高速性を最重視した新コンセプトの偵察機の開発が、[[陸軍航空技術研究所]]の[[テスト・パイロット]]である[[藤田雄蔵]][[大尉|陸軍航空兵大尉]]<ref>[[東京帝国大学|東京帝大]][[航空研究所]]の[[航研機]][[操縦者]]として、[[1938年]](昭和13年)に[[国際航空連盟]]公式認定の周回長距離飛行世界記録を樹立した。</ref>や[[三菱重工業]]の技師らの提案や働きかけにより、[[1935年]](昭和10年)から始まり試作機は翌[[1936年]](昭和11年)に初飛行した。本機は戦略的運用をメインとする「'''司令部偵察機'''」という新しいカテゴリが充てられ、[[1937年]](昭和12年)に[[九七式司令部偵察機]]として制式採用された。これが事実上の世界初の戦略偵察機である。九七司偵は[[日中戦争]]や[[ノモンハン事件]]で前線を越えて敵地深くまで侵入し戦略偵察に活躍した。その活躍に刺激された日本陸軍は後続機として、さらに高速性・高高度性・長距離性など戦略偵察に特化した「新司偵」を開発、[[1940年]](昭和15年)に'''[[一〇〇式司令部偵察機]]'''として採用した。一〇〇式司偵は当時の列強各国の偵察機はもとより戦闘機をも凌駕する高性能を誇っており、また計1,742機と純粋な戦略偵察機としては世界的にも異例の大量生産が行われ<ref>なお、日本陸軍はほかに戦術偵察機として[[九九式軍偵察機]]や[[九八式直接協同偵察機|九八式直協偵察機]]を開発・運用している。</ref>、[[太平洋戦争]]開戦前から[[第二次世界大戦]]終戦に至るまで、ほぼ全ての戦線で日本軍の重要な主力戦略偵察機として運用・活躍した。
 
[[File:Mig-25.jpg|thumb|200px|right|ロシア空軍の[[MiG-25 (航空機)#主な派生型|MiG-25RBS]]]]
[[航空母艦]]や[[艦載機]]・[[水上機]]が実用化すると、[[海戦]]においても偵察機の役割は重要になった。敵を発見するのに目視以外に手段の無い時代において、敵がどこにいるのかを把握するには、実際に人間がそこに行くしかない。陸上であればそこに住む住人の駐留する監視要員からの通報によって敵の来襲を告げる事ができるが、何も無い海上の敵を探るには偵察以外に手段はない。従来の[[巡洋艦]]などの艦艇や船舶による偵察に比べて、航空機による偵察の優位は明らかであった。しかしながら[[レーダー]]の発達により、こうした艦隊の目としての偵察機の役割は終焉する。
第二次大戦後はもっぱら戦闘機・[[戦闘爆撃機]]・爆撃機などを偵察機仕様に改造・転用することが一般的となり、ならびにレーダーや偵察衛星の発達により専用の偵察機開発や大規模運用自体は激減したものの、上述の通り[[21世紀]]初頭現在も偵察機は主要な軍用機として世界各国で広く運用されている。
 
なお戦略偵察機の思想自体も受け継がれており、[[冷戦]]期にはアメリカ空軍がU-2やSR-71の戦略偵察機を開発・運用し、そのうちU-2は現役である。また無人偵察機RQ-4はその高高度性・長距離性・広範囲探知能力から戦略偵察運用もなされる。
レーダーの発達により、いわゆる索敵目的での偵察機は消滅した。地上戦力などレーダーでは察知できない敵を探るための機体は存在するが、それら地上戦力の目としての偵察目的の機体は[[観測機]]と呼ばれており、偵察機とは別のものとして扱われる。
 
== 脚注 ==
現在の偵察機は、敵基地、その他軍事施設、生産施設などを偵察するのが主任務になっている。詳細は上記の概要で述べた通りである。
<references />
 
== 関連項目 ==
* [[偵察機・哨戒機の一覧]]
* [[軍用機]]
* [[対潜哨戒機]]
* [[早期警戒機]]
* [[観測早期警戒管制機]]
* [[ロイター飛行]]
* [[装輪装甲車#分類|戦闘偵察衛星]]
* [[情報収集艦]]