「ミカエル4世」の版間の差分

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1034年、ロマノス3世が入浴中に不慮の死(一説には不仲であった[[皇后]]の[[ゾエ]]の刺客による暗殺)を遂げた後、ゾエはミカエルと結婚し、彼を皇帝として新たに即位させた。これがミカエル4世である。ミカエルは即位するとゾエへの興味を失い、彼女を幽閉した。
 
ミカエルは皇帝としては比較的有能で、軍事面に優れた才能を持っていたため、[[イスラーム]]勢力をはじめとする敵対勢力への遠征では多くの成功を収めた。しかし年々[[癲癇]]の発作が悪化し、ヨハネス・オルファノトロフォスに政治の実権を譲って引退した。ところが、そのヨハネスは国民や貴族に対して圧政を行ない、[[バシレイオス2世]]が寛大な措置を取っていた[[スラヴ人]]に対しても抑圧的な政策をとった。このため、各地で国民や貴族による反乱が勃発し、ブルガリアでは[[ブルガリア帝国]]の[[ペタル・デリャンの蜂起|復活を宣言する大規模な反乱が発生した。]]ミカエルは何とかこれらの反乱を鎮圧したが、すでに長くは生きられないことを悟って甥のミカエルを養子として後継者と定め、1041年12月10日に修道院へ引退し、その日にそこで死去した。