「コソボ紛争」の版間の差分

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=== NATO介入 ===
[[1999年]]3月、コソボ問題の和平交渉が行われたが、その最終段階でコソボだけではなくユーゴ全域を実質的に占領するという和平案をアメリカが提出したため、ユーゴ側はこれを拒否した。それを口実に[[北大西洋条約機構|NATO]]軍は制裁の空爆を行った。<!---本来ならばコソボの軍部隊を目標とすればよかったといえるが、--->空爆はセルビア全土に及び、セルビア人難民の車列を<!---ピンポイント--->攻撃したり、[[中華人民共和国|中国]][[大使館]]を誤爆(あえて狙った疑惑もある)したりと、NATOの過剰な攻撃に対する批判も高まった。これには[[2000年問題]]に未対応の兵器を処分するためとの見方もある。空爆は[[ミロシェビッチ]]大統領が和平案を受け入れる6月まで継続した。またNATO軍[[戦闘機]]が、使用しなかった爆弾などを[[アドリア海]]に投棄している姿が何度も目撃され、<!---軍事面からは通常行為--->環境や安全面からも批判された。一方、特殊な表面構造によりレーダーに捕捉されにくい[[ステルス (軍事)|ステルス]]攻撃機が撃墜されたことは、NATOと[[アメリカ合衆国軍|米軍]]を内側から揺さぶった。<!---これは軍事面からは大した悪影響は与えていないのだけどね。--->
 
=== 終結 ===