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[[京都御所]]清涼殿で行われていた吉書焼きの[[左義長]]の遺風をうつしたものといわれ、[[鎌倉時代]]初期に[[二階堂氏]]がこの地方の[[地頭]]となった時に始まり、豊作祈願の火祭として続けられ、六郷のカマクラ行事の場合、現在の形が定着したのは[[江戸時代]]初期の頃といわれている。美郷町六郷のほか、秋田県内には[[仙北市]](旧・[[角館町]]の[[火振りかまくら]])や[[横手市]]などにも伝わっている。また、新潟県の魚沼地方では、「ほんやら洞」という同様の伝統行事が行われている。
 
==秋田県のかまくら==はい死ね[[ファイル:例.jpg]]
=== 横手のかまくら ===
'''''斜体文'''''横手のかまくらは「およそ400年の歴史がある、横手を代表するお祭り<ref name="yokote">[http://www.yokotekamakura.com/10_whatnew/oshirase_33.html 横手市観光協会ウェブサイトによる]</ref>」とされているが、かまくら自体はあくまでも祭礼ではなく行事であり、昭和天皇ご病気時の「自粛」対象にはならなかっただろうとされている。しかし、横手の「雪まつり」(小正月行事)としては、こちらも約280年の歴史があるとされている<ref name="yokote" />「[[梵天 (曖昧さ回避)|ぼんでん]]」と不可分のものである。
 
現在のような行事になったのは[[明治]]30年以降のことで、左義長の行事と[[水神]]様を祀る行事が合わさり、さらに[[子供]]の行事となったものである。