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当初は[[旗本]]に仕える使用人の[[旗本奴]]たちの間で流行し、これが一般にも広まった。
 
丹前は綿の入った広袖の着物で、布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。また、厚手のウール生地で作られた、中綿の入っていないものもある
 
なお、綿入れ[[袢纏]]は、[[羽織]]風の、腰あたりまでの上着であるが、最近では、また地方によっては、これを丹前あるいはどてらと呼ぶこともある。
日本の[[東北地方]]では[[就寝]]時に[[掛け布団]]の内側にかけて使用する。[[2010年]]現在では丹前を作る[[職人]]がほとんどいない。
 
日本の[[東北地方]]では[[就寝]]時に[[掛け布団]]の内側にかけて使用する。[[2010年]]現在では綿入れ丹前を作る[[職人]]がほとんどいない。
 
== 解説 ==
丹前の原型は[[吉原遊廓|吉原]]の有名な[[遊女]]だった[[勝山 (遊女)|勝山]]の衣装にあるという。
 
勝山は、元はといえば[[江戸]][[神田 (千代田区)|神田]]の[[風呂屋]]の[[湯女]]だったが、この風呂屋は[[堀氏|堀丹後守]]の[[藩邸|下屋敷]]の前にあったことから「丹前風呂」と呼ばれていた。勝山ゆかりの丹前風呂では湯女たちが勝山にあやかって良く似た衣を身につけていたが、そこに通い詰めた旗本奴たちがそれによく似た羽織ものを着て[[風流]]を競ったので、「丹前」が巡り廻って羽織衣服の一種の名となったという。
 
こうした旗本奴や、のちには[[侠客]]などが、派手な縞柄の丹前に広幅の丹前帯をだらしなく絞めて着流したのが丹前風で、これが一種の流行になった。