「阿部四郎」の版間の差分

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1970年代から全女のレフェリーを兼任し、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の人気番組「[[オレたちひょうきん族]]」の一コーナー「ひょうきんプロレスアワー」のごく初期にも、レフェリー兼リングアナウンサー役を務めている。
 
[[1980年代]]初頭、[[デビル雅美]]が率いた[[ヒール (プロレス)|ヒール]]軍団「ブラック・デビル」の末期に、突如としてデビル軍団側に肩入れしたする不公正なジャッジレフェリングをし始めたため、[[植田信治]][[コミッショナー]]は[[凶器 (プロレス)|凶器]]使用禁止令を下すと共に、阿部にも暫くの出場停止と減給処分を言い渡した。
 
凶器使用禁止令を遵守しようとするデビル、[[山崎五紀]]と、凶器使用にこだわる[[ダンプ松本]]、[[クレーン・ユウ|マスクド・ユウ]]との間で対立が発生。業を煮やしたデビルは、デビル軍団の解散を宣言し、[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]に転向した。
 
デビルに謀反した松本とユウが、新たなヒール軍団「[[極悪同盟]]」を結成すると、今度は「下積みを強いられてきたダンプがかわいそうだから」と極悪同盟に加担以後は度重なるコミッショナーの警告を受けながらも、極悪同盟側が行う反則を見ていなかったことにして黙認、極悪同盟側を有利にカウントする可変速カウントは当たり前の極悪同盟を徹底的に贔屓する極悪レフェリングを展開し、果ては極悪同盟とお揃いのコスチュームで一緒に現れるほどの'''極悪レフェリー'''として、極悪同盟を徹底的に贔屓した極悪レフェリングを展開。当時、人気絶頂にあった[[クラッシュギャルズ]]を始めとする[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]勢を大いに苦しめ、女ファンからの憎悪を一身に浴びる一方、主に男性のプロレスマニアからは卓越した名人芸が絶賛された。ダンプも阿部に関して「阿部四郎は私にとってとても大切な仲間」と語っている。
 
阿部の悪行を実況席から指弾し続けた[[アナウンサー]]の[[志生野温夫]]とは、実は旧知の仲である。
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近年は[[IWAジャパン]]を主戦場としていた。[[日刊ゲンダイ]]のインタビュー「あの人は今こうしている」([[2005年]]と[[2010年]]の2度登場)では、レフェリーとしてギャラの支払を殆ど受けていなかった事、[[全日本女子プロレス#松永家|松永兄弟]]に対して巨額の売掛金があり、うやむやのまま結局未収になったのみならず、全女の借金の[[保証人]]だったため、[[2008年]]に東村山市の自宅を差し押さえられた事などを愚痴っている。
 
[[ZERO1|ZERO1-MAX]]のメインレフェリーを務めた[[阿部信輔]]は息子で、父とは異なり公平で正統派なレフェリングの芸風である。
 
[[2009年]]7月9日、新宿FACEで行われた「NOSAWA-BON-BA-YE 5」の、クラッシュギャルズ25周年メモリアルマッチ・[[鈴木みのる|長与みのる]]&[[高山善廣|ライオネス高山]]VS[[菊タロー|ダンプ菊]]&[[マッスル坂井|ブル坂井]]の試合をもってレフェリーを引退し、芸能プロダクションと、[[立川駅]]前のスナックの経営に専念している。