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[[ファイル:Yamato Snowfield.JPG|thumb|250px|大和雪原]]
その後、探検用の樺太犬を連れてシドニーへと戻った多田を加えた隊は、表面上は和解して再び南極を目指し[[11月19日]]出港。[[1912年]](明治45年)[[1月16日]]に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と命名した。同地は上陸、探検に不向きであったため[[ロス棚氷]]・[[クジラ湾]]より再上陸。[[1月20日]]に極地に向け出発した。探検隊の前進は困難を極め、28日に帰路の食料を考え、極点到達を断念、南緯80度5分、西経165度37分の地点に[[日本の国旗|日章旗]]を掲げ、同地を「[[大和雪原]](やまとゆきはら・やまとせつげん)」と命名して、隊員一同「万歳万歳万々歳」と唱和した。同地には「南極探検同情者芳名簿」をうめた。なお、この地は氷上であり大陸ではない。探検の記録映像が[[東京国立近代美術館]]フィルムセンターで鑑賞できる。
 
=== 帰還 ===