「アルボ」の版間の差分

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Xapones (会話 | 投稿記録)
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アルボについての現存する最古の記録は、[[アルフォンソ7世 (カスティーリャ王)アルフォンソ7世]]によって、サンタ・マリーア・デ・メロン修道院にこの地が寄贈されたことについて記述されている。そして、現在も同修道院の特権、寄贈などに言及するおびただしい数の証文が残されている。
 
ポルトガル領のメルガソに、川を隔てて隣接するという地理的条件は、しばしば、アルボを直接あるいは間接的に紛争に巻き込むこととなった。[[フェリーペ4世]]統治下の[[ポルトガル王政復古戦争|ポルトガル独立回復戦争]]、[[スペイン継承戦争]]、そして[[スペイン独立戦争]]時の1809年2月には、この地に入るために重要なモウレンタン橋をめぐって、この地の住民とフランス兵との間で衝突が起きている。
 
== 経済 ==