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[[2007年]]の阪神大賞典では、[[武豊]]を背に先行策からゴール前で1番人気の[[ドリームパスポート]]を抑えて優勝し重賞2連勝を果たした。続く天皇賞(春)では鞍上に[[安藤勝己]]を迎え(武は[[アドマイヤムーン]]の香港遠征の為不在)、二冠馬[[メイショウサムソン]]や前年のメルボルンカップ勝ち馬[[デルタブルース]]らを抑え1番人気に押された。しかし、スタートで出負けし、メイショウサムソンの4着に終わった。レース後に左第1指骨剥離骨折が判明し、休養を余儀なくされた。11月に栗東に帰厩したものの[[馬インフルエンザ]]に感染する不運も重なり、結局2007年後半は全休することになった。
 
[[2008年]]の[[京都記念]]で復帰するが最下位16着に終わった。続く阪神大賞典では一変し、[[アドマイヤジュピタ]]の2着に入った。4度目の挑戦となった天皇賞(春)では11着と惨敗したものの、続く目黒記念はトップハンデを背負いながら[[ホクトスルタン]]の5着に健闘した。夏場はノーザンファームでリフレッシュ放牧、[[9月16日]]に栗東に帰厩した。迎えた秋初戦、京都大賞典では内から伸びて3着に入った。その後[[香港ヴァーズ]]、[[香港カップ]]の予備登録を行ったが左後脚の裂蹄が悪化したことから回避した。左後脚の裂蹄は回復したものの負担がかかっていた両前脚の蹄を痛め、さらにそれを庇って右後脚の蹄を痛めることとなった。その後療養のため[[山元トレーニングセンター]]へ放牧に出されたが右後脚は重度の[[蹄葉炎]]を発症しており、さらに左後脚にも蹄葉炎を発症し立不能の状態に陥った<ref>『[[大阪スポーツ]]』2008年12月7日 16面</ref>。引退が決まった矢先の[[11月26日]]、回復の見込みがないと診断され、安楽死となった<ref>http://keiba.radionikkei.jp/keiba/news/entry-159506.html</ref>。それに伴い同日付で競走馬登録を抹消された。
 
== 競走成績 ==