「新穂高温泉」の版間の差分

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== 歴史 ==
開湯時期は不明。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[武田信玄]]の家来が入湯したとも言われることから、開湯はそれ以前と考えられる。
 
奥飛騨温泉郷の中でも、特に名湯と呼ばれる新穂高温泉が、現在のような賑わいを見せるようになったのは、その始まりは昭和30年代に入ってからのこと。奥飛騨の雄大な自然と、豊かな温泉の魅力に取りつかれた野尻和木三が、この土地に一大温泉郷を作り上げる夢を抱き、人生を懸けて実現した。昭和30年11月、和木三が38歳の時に、彼は現在「穂高荘 山月」の建つ付近に豊かな温泉を掘り当てた。この付近は元々は蒲田温泉と呼ばれ、リウマチや胃腸病、頭痛に効く湯治場として、質の良い川湯が湧くことで、江戸時代以前から知られていたが、大洪水によって旅館や温泉の湯元が流失して以来、そのままにされていた場所。温泉を掘り当てた翌年の昭和31年に、「穂高荘」を始めとした4軒の温泉宿が営業を開始したことで、約35年ぶりに温泉郷としての復活を果たした。野尻和木三の伝記『奥飛騨繁昌記』参照。
 
戦後の登山ブームによりこの地を訪れる登山者が急増し、北アルプス登山の拠点となった<ref name="hitomi">『hitomi』No.2、まちなみカントリープレス、2010年、P.14</ref>。[[井上靖]]が小説『[[氷壁]]』の舞台としたのはこの地にある中崎山荘で、同山荘の温泉は[[ツムラ]]の[[入浴剤]]のモデルにもなったが、蒲田川の砂防工事のために2007年10月閉館。2010年4月より日帰り入浴施設として再開している<ref name="hitomi"/>。