「ロニー・コックス」の版間の差分

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10代のころは音楽に親しみ、イースタン・ニュー・メキシコ大学在学中より早くからその才能を発揮していたといわれる。60年代初頭、本格的にバンド活動を開始。自身も1963年に大学を卒業すると、実兄とともに新たにロックバンドを結成。ギターを担当したほか、オリジナル曲の作曲も手がけた。
 
30代に入ったころ、活動の拠点をワシントンのアレナ・ステージ・カンパニーに移し、す。その地で演劇と出会い、6年間の間に「るつぼ」「ガラスの動物園」などの舞台に立った[[1969年]]、ブロードウェイではにて[[ジョセフ・バップ]]が主宰するパブリック・シアターに加わり「インディアン」で檜舞台に立ってから徐々に頭角を現す。1972年、[[ジョン・ヴォイト]]主演作『[[脱出 (映画)|脱出]]』で映画初出演を果たし、プロデビューした。妻メアリーと結婚し、経験も重ねてゆく。
 
70年代は比較的TVへの出演が多かったが80年代になると映画でも活躍の場を得て数多くの名作に出演。『[[ビバリーヒルズ・コップ]]』シリーズでのボゴミル刑事部長役や『[[ロボコップ]]』における悪役のオムニ社の幹部役などで存在感を示す。一方で、サスペンスものやアクションタッチのヒューマンドラマ物の映画や、TVドラマを製作。自ら脚本も兼ねてこれに主演するなど、プロデュース面での手腕も発揮している。主な代表作に『殺走!哲人ランナー』、『FBI/男たちの闘争』などがある。