「榊原政房」の版間の差分
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{{DISPLAYTITLE:{{JIS90フォント|榊}}原政房}}
{{統合文字|榊}}
{{基礎情報 武士
{{武士/肖像|[[画像:Grave of Sakakibara in Shosha 04.jpg|200px|榊原政房]]}}▼
| 時代 = [[江戸時代]]
{{武士/生誕|[[寛永]]18年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]]([[1641年]][[9月7日]])}}▼
| 改名 =
{{武士/氏族|[[榊原氏|{{JIS90フォント|榊}}原氏]]}}▼
| 別名 =
{{武士/父母|父:[[榊原忠次|{{JIS90フォント|榊}}原忠次]]、母:[[寺沢広高]]の娘}}▼
| 諡号 =
{{武士/妻|正室:[[池田光政]]の娘<br />継室:[[池尻共孝]]の娘}}▼
| 戒名 =
{{武士/子|[[榊原政倫|{{JIS90フォント|榊}}原政倫]](長男)<br />娘・([[蜂須賀綱通]]正室のち[[松平義行]]継室)}}▼
| 墓所 =
| 官位 =
| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 =
| 藩 = [[播磨国|播磨]][[姫路藩]]主
| 兄弟 =
| 特記事項 =
}}
'''{{JIS90フォント|榊}}原 政房'''(さかきばら まさふさ)は、[[江戸時代]]前期の[[大名]]。[[播磨国|播磨]][[姫路藩|姫路]]藩第2代藩主。{{JIS90フォント|榊}}原家4代当主。幼名、熊之助。従五位下、従四位下、刑部大輔、式部大輔。
政房の父の大須賀忠次は、{{JIS90フォント|[[榊原康勝]]}}の死によって{{JIS90フォント|榊}}原家を継承したが、実は康勝には庶子[[榊原勝政|勝政]]があった。勝政から{{JIS90フォント|榊}}原家当主の座を失わせた形になった政房は、義父の池田光政らと奔走し、勝政の子である[[榊原勝直|勝直]]、[[榊原政喬|政喬]]の兄弟を旗本に取り立てることに成功した。この分家成立は、のちに藩主の血筋を保つことになった。
==略年譜==
*[[1641年]]([[寛永]]18年):生まれ
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*[[1665年]](寛文5年) :従四位下式部大輔
{{姫路藩主|{{JIS90フォント|榊}}原氏|2代|1665 - 1667}}▼
▲{{姫路藩主|{{JIS90フォント|榊}}原氏|2代|1665-1667}}
{{DEFAULTSORT:さかきはら まさふさ}}
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