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'''カテナッチョCatenaccio''' ((カテ'''Catenaccioナッ''') チョー)とは、1950〜1960年代に[[イタリア]]で流行した[[サッカー]]の戦術である。
 
==解説==
ほとんどの選手が自陣に引いてしっかり守るという堅い守備で、前線の数人だけで素早く得点を取るというイタリアの[[カウンターアタック|カウンター]]・サッカーの戦法をこう呼ぶ。サッカーにおいて堅実な試合運びを好み、内容よりも結果を重視するイタリア人らしい戦術である。
あまりにも守備を重視した戦術であったため、それが転じて、現在ではイタリア・サッカーの守備的な戦い方そのものを表す。
'''カテナッチョ'''Catenaccio という言葉自体は、[[イタリア語]]で「掛けがね」、「[[閂 (錠)|閂]](かんぬき)」という意味である。ディフェンスラインの後ろで左右に動くスイーパーの動きがかんぬきを差す動きに似ていたところから、そう名付けられた。また、カギを掛けたように守備が堅い戦術という意味もある。
 
日本では現在でも[[サッカーイタリア代表]]の固い守備陣のことを'''カテナョ'''と呼ぶことがしばしばあるが、イタリアでは既にこの表現は使われていない。実際このシステムは1960年代の内に消滅しており厳密にいえばカテナッチョ catenaccio という呼称は相応しくない。この理由からイタリア人は自国の守備陣がカテナッチョとそう呼ばれることに対して少々辟易しているようである{{要出典|date=2009年7月}}。
 
== 始まり ==
カテナチオCatenaccio は、[[オーストリア]]人監督のカール・ラパンの「verrou」(ドアボルト)システムにその起源を持つ。ディフェンスラインの後ろに「verrouller」という完全に守備的な選手を置くその戦術をイタリアの各クラブチームが採用し、発展させたものがカテナチオ catenaccio で、その中でも有名なのが、ネレオ・ロッコの[[カルチョ・パドヴァ|パドヴァ]]や[[エレニオ・エレーラ]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]である。
特に[[アルゼンチン]]人監督のエレーラは1960年代に、この戦術を用いて国内リーグ・タイトルやヨーロッパ・チャンピオンズカップを勝ち取り、チームは「グランデ・インテル」と呼ばれた。
 
エレーラのカテナョーは、マンツーマンで守る4人のマンマーカーの後ろに、この4人が逃した相手アタッカーを捕まえる守備の選手を置くというものであった。
この選手はマンマークの守備から自由であったことから、イタリア語で「自由」を意味する“'''[[リベロ (サッカー)|リベロ]]'''”と呼ばれるようになった。1-4-3-2のシステムで、4人のフルバックが相手の4人のフォワードをマンマークし、その後ろで一人あまったリベロがそのカバーリングを行ったのである。
その後、フォワードの数が1人増えた4-3-3のフォーメーションが現れると、それにあわせてフルバックが1人減った1-3-3-3へと変化したが、基本的には同じである。
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== その他 ==
日本においては、守備的な戦術を取るチーム、堅守を武器とするチームに対して、サッカーファンやマスコミによって、カテナをもじった「○○ナチオ」という愛称がつけられることが多い。[[水戸ホーリーホック]]の「水戸ナチオ」、[[横浜FC]]の「ハマナチオ」、[[大分トリニータ]]の「カメナチオ」(マスコットの「ニータン」が[[カメ]]なことから)などが有名。[[2010 FIFAワールドカップ]]における[[サッカー日本代表|日本代表]]は主に守備に重点を置いたフォーメーションとなったことから、一部のマスコミからは監督の[[岡田武史]]を捩って「オカナチオ」と称された。
 
== 関連項目 ==