「ジェルメーヌ・ド・フォワ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目:
ジェルメーヌとの再婚は、一方では[[ナバラ王国]]の獲得につながった。ジェルメーヌの祖母[[レオノール (ナバラ女王)|レオノール]]はナバラ女王であり、父ナルボンヌ子爵ジャンはナバラ王位を要求して内乱を起こしたことがあった。ジャンの唯一の男子であったヌムール公ガストンが[[ラヴェンナの戦い]]で戦死した[[1512年]]、フェルナンド2世はナバラ侵攻のため軍勢を派遣し、翌1513年にジェルメーヌの王位継承権に基づいてナバラ王即位を宣言、[[1515年]]に征服が完了した。ジェルメーヌの従姉であるナバラ女王[[カタリナ (ナバラ女王)|カタリナ]]と夫[[フアン3世 (ナバラ王)|フアン3世]](ジャン・ダルブレ)はフランスへ逃れた。
 
フェルナンド2世が[[1516年]]に亡くなると、王位に就いたのは孫[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス1世]](のち神聖ローマ皇帝カール5世となる)だった。カルロスはまだ若い義理の祖母で又従姉にあたるジェルメーヌとの間に私生児イサベル{{enlink|Infanta Isabel de Castilla||es|a=on}}をもうけたが、その後ヨハン・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ({{enlink|Johann of Brandenburg-Ansbach|a=on|p=off}}, [[フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)|アンスバッハ辺境伯フリードリヒ]]の息子で[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]][[ヨアヒム1世 (ブランデンブルク選帝侯)|ヨアヒム1世]]の従弟)と結婚させることにし、2人は[[バルセロナ]]で式を挙げた。[[1523年]]、2人はカールにより[[バレンシア王国|バレンシア]][[副王]]とされた。
 
[[1526年]]にジェルメーヌはヨハンと死別したため、今度は[[カラブリア州|カラブリア]]公[[フェルナンド・デ・アラゴン (カラブリア公)|フェルナンド]](イタリア名フェルディナンド、フェルナンド2世が廃位した[[ナポリ王国|ナポリ]]王[[フェデリーコ1世 (ナポリ王)|フェデリーコ1世]]の王太子だった)と3度目の結婚をした。ジェルメーヌはカラブリア公と共に引き続きバレンシア副王を務め、2人は芸術と音楽の後援者となった。[[1538年]]にジェルメーヌは亡くなるが、その後もカラブリア公は[[1550年]]に亡くなるまで副王を務めた。