「マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)」の版間の差分

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[[ファイル:Jan Cornelisz. Vermeyen 005.jpg|thumb|マリア・アンナ大公妃、1577年]]
'''マリア・アンナ・フォン・バイエルン'''('''Maria Anna von Bayern''', 1551年3月21日 [[ミュンヘン]] - 1608年4月29日 [[グラーツ]])は、ドイツの[[バイエルン|バイエルン公]][[アルブレヒト5世 (バイエルン公)|アルブレヒト5世]]の娘で、[[オーストリア大公]][[カール2世 (オーストリア大公)|カール2世]]の妻。
 
バイエルン公アルブレヒト5世とその妻で[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]]の娘である[[アンナ・フォン・エスターライヒ (バイエルン公妃)|アンナ]]の間の長女として生まれた。1571年8月26日に[[ウィーン]]において、母方の叔父で内オーストリア、[[シュタイアーマルク]]を統治するカール大公と結婚し、間に15人の子供をもうけた。
 
== 子女 ==
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[[Category:ヴィッテルオーバッハ家トリアの后妃]]
[[Category:ヴィッテルスバッハ家|まりあ あんな1551]]
[[Category:ミュンヘン出身の人物]]
[[Category:1551年生]]