「マルティヌス1世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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[[ファイル:Pope Martin I.jpg|thumb|right|マルティヌス1世]]
'''マルティヌス1世'''({{lang|la|'''Martinus I'''}}、? - [[655年]][[9月
[[東ローマ帝国]][[皇帝]][[コンスタンス2世]]が[[両性単意論]]を支持する勅令([[デュポス]])を発布した際、[[ラテラン公会議 (649年)|ラテラン公会議]]でこれを異端と決議したため、653年に東ローマ帝国の[[ラヴェンナ]]総督府によって捕縛された上[[コンスタンティノポリス|コンスタンティノープル]]に連行された。裁判の結果、[[クリミア半島]]の[[ケルソネソス|ケルソン]]に配流され、その地で没する。
彼の逮捕は、7世紀の半ばになってもコンスタンティノープルの皇帝の権威・権力が西方にも及んでいたことを示す一つの例である。
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*[[聖マクシモス]]
{{ローマ教皇|第74代: 649年 -
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