「三保の松原」の版間の差分

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== 概要 ==
[[平安時代]]から親しまれている三保半島の南側に広がる景勝地である。
総延長7キロメートル7km、5万4千本の[[マツ|松]]林が生い茂る海浜と、[[駿河湾]]を挟んで望む[[富士山]]や[[伊豆半島]]の美しい眺めで有名。[[歌川広重]]の[[浮世絵]]『[[六十余州名所図会]]』「駿河 三保のまつ原」に描かれている。
 
三保半島は、[[安倍川]]から海へと流された土砂が太平洋の荒波に運ばれ、[[日本平]]を削りながら出来た[[砂嘴]]である。何百年にわたり流された土砂が静岡海岸、さらには清水海岸に幅百メートルmを超える砂浜を作り、現在の[[清水港]]を囲む三保半島、および三保の松原の砂浜を形成した。
 
[[羽衣伝説]]の舞台でもあり、浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」と呼ばれる樹齢650年の老松があり、付近の[[御穂神社]](みほじんじゃ)には、羽衣の切れ端が保存されている。
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== 浸食等の問題 ==
[[1980年代]]から三保の松原の砂浜は、波の浸食により消失の危機に見舞われている。原因は、[[1960年代]]に安倍川により流された土砂を大量に採掘したため、土砂の需給バランスが崩れたことと考えられている。現在、静岡県は海岸から百メートル程の地点に[[消波ブロック]]を点在して設置し、砂を補給するなどの[[養浜]]対策を講じている。また「羽衣の松」を含む多くの松林が徐々に枯死する症状も進行している。静岡県などが対策に乗り出しているが、根本的な解決策が見つけ出せずにいるのが現状である。
また「羽衣の松」を含む多くの松林が徐々に枯死する症状も進行している。静岡県などが対策に乗り出しているが、根本的な解決策が見つけ出せずにいるのが現状である。
 
== 羽衣伝説に関する逸話 ==
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* 羽車神社 - 「羽車磯田社」とも言い、御穂神社の離宮。
* [[御穂神社]]
* 神の道 - 樹齢200-300年の老松の並木が500メートル500mほど続く、御穂神社から羽衣の松までを結ぶ道。毎年2月14日の深夜にこの道を通って神を天からお迎えする神事が行われている。
* エレーヌの碑(羽衣の碑) - 上述のエレーヌの[[顕彰]]のために建立された慰霊の碑。
* [[伯良神社]] - 羽衣伝説に登場する漁夫の屋敷跡とされる神社。