「サンジャイ・ガーンディー」の版間の差分

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=== 人口抑制計画 ===
サンジャイは人口抑制のために家族計画を主導し、実行した。それは精管の強制切除であった、また、女性の避妊手術も含まれる。正式には2人以上の子供がいる男性は精管切除をしなければならなかった。しかし、[[インド]]の家族観や文化、伝統により、この計画は激しい批判にさらされ、打切りとなった。
 
=== インディラーの退陣と復帰 ===
[[インディラー・ガーンディー]]首相は[[非常事態宣言]]を終了し、1977年総選挙を行った。[[インディラー・ガーンディー]]率いる[[インド国民会議派]]は敗北し、[[ジャナタ党|ジャナター党]]が勝利を収めた。[[ジャナタ党|ジャナター党]]政府は[[非常事態]]時の調査を開始し、虐待、拷問、収賄の容疑で[[インディラー・ガーンディー|インディラー]]とサンジャイを逮捕したが、証拠不十分ですぐに釈放された。[[ジャナタ党|ジャナター党]]は自ら崩壊し始め、新しく総選挙が実施された。1980年、[[インド国民会議派]]が勝利し、[[インディラー・ガーンディー|インディラー]]は首相に復帰した。サンジャイも[[ウッタル・プラデーシュ州]][[アメーティー]]選挙区で立候補し、国会議員として当選した。