「無名の反逆者」の版間の差分

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横浜大塚 (会話 | 投稿記録)
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==概要==
[[六四天安門事件|天安門事件]]の翌日([[6月5日]])、[[天安門]]前の10車線道路([[長安街]])で、彼は事件を鎮圧するために現れた[[59式戦車]]の車列の前に立ち、行く手を遮った。場所は{{仮リンク|北京飯店|en|Beijing Hotel}}南西の交差点({{coord|39|54|23.5|N|116|23|59.8|E|region:CN|display=inline,title}})。戦車は何度も彼を回避するために横に迂回しようとするが、その都度彼は戦車の前に立ちふさがり侵入を防いだ<ref name="Time">[http://www.time.com/time/time100/leaders/profile/rebel.html {{lang|en|TIME 100: The Unknown Rebel}}]{{en icon}} {{lang|en|Time Magazine}}(タイム誌「20世紀の100人:無名の反逆者」)</ref>。しばらくそれを繰り返した後、彼が戦車に飛び乗って中の兵士となんらかの口論をしていた様子が、[[CNN]]や[[英国放送協会|BBC]]のクルーによって撮影され、世界中に配信され一躍その姿を知らしめることになった。ビデオ映像は、心配した他の市民(または私服警官という説もあるが不明)が彼を群衆の中に引き戻し<ref name=Time/>、戦車が再び行進する場面で終わっている。映像のほかに、1キロメートル弱離れた北京飯店6階に宿泊していた[[AP通信]]の{{仮リンク|ジェフ・ワイドナー|en|Jeff Widener}}によって[[w:file:Tianasquare.jpg|『400mmレンズを使用した写真(4台の戦車の前に男性がたたずんでいる)』]]、[[マグナム・フォト]]所属のスチュアート・フランクリンによる写真(ワイドナーの写真より広範囲が撮影され、さらに多くの戦車が後に続いている)が撮影され、世界の新聞に掲載された。この印象的な映像や写真は何度も使われ、戦車の前に立って無言の抵抗をした彼は、西側諸国において中国の民主化運動の象徴的存在となった。1998年4月の『タイム』誌はこの人物を「20世紀最も影響力のあった人物100人」に選び、2003年に『ライフ』誌はスチュアートの写真を「世界を変えた写真100」に選んでいる。しかし、戦車の行動を阻止するのは戦車が天安門を離れる時のことであり、その阻止行動自体の意義は希薄である
この印象的な映像や写真は何度も使われ、戦車の前に立って無言の抵抗をした彼は、西側諸国において中国の民主化運動の象徴的存在となった。1998年4月の『タイム』誌はこの人物を「20世紀最も影響力のあった人物100人」に選び、2003年に『ライフ』誌はスチュアートの写真を「世界を変えた写真100」に選んでいる。
しかし、戦車の行動を阻止するのは戦車が天安門を離れる時のことであり、その阻止行動自体の意義は希薄である。
 
この映像に対し、「この衝撃的な映像には二人の無名の英雄がいる。それは戦車の前に立ちはだかった男と、彼をひき殺すことを躊躇した戦車の兵士だ」という意見がある<ref>{{cite news
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事件後、[[1990年]]の記者会見で、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のジャーナリスト、バーバラ・ウォルターズからの「中国の自由の象徴というべきあの男はどうなったのか?」という質問に対し、[[江沢民]]中国共産党総書記は「死んではいないと思うが……」と言葉を濁しただけにとどまった<ref name=Time/>。
 
 
==参照==