「ヨハネによる福音書」の版間の差分

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ヨハネによる福音書と呼ばれている通り、正統的なキリスト教会の伝統・伝承ではこの弟子は[[ゼベダイの子]]使徒ヨハネであるとされてきた。詳細化された伝承においては、使徒ヨハネが最晩年[[エフェソス]]において弟子[[プロクロス]]に口述筆記させたとする。しかし、19世紀以来の学術的な研究の結果、使徒ヨハネが第四福音書の著者であるという伝承に由来する意見は[[高等批評]]を受け入れる[[自由主義神学]](リベラル)の間では支持されなくなった。リベラルの解釈によれば、テキストから読み取れるのは、『ヨハネ福音書』が「[[イエスの愛しておられた弟子]]」である無名の著者によって執筆されたということだけである。
 
== 非神話化による執筆に用いられた資料 ==
[[非神話化]]を唱えたドイツの聖書学者[[ルドルフ・ブルトマン]]が[[1941年]]に自著『ヨハネ福音書について』で提示した説によれば、『ヨハネ福音書』の著者はイエスの行った奇跡に関して共観福音書とは異なる資料、口述資料を用いているという。この資料は仮に「しるしの福音」と呼ばれるもので、紀元70年ごろに成立していたものと思われる。「しるしの福音」の存在そのものに疑いの目を向けるものであっても、『ヨハネ福音書』の中でイエスの「しるし」に番号がふられていることが何らかの資料の痕跡であることは否定できない。資料を研究すれば、ヨハネ福音のみにかかれる奇跡はすべて12章37節以前に現れていることがわかる。しかもそれらは決して劇的な描き方はされず、信仰を呼び起こすものとして描かれる{{要出典|date=2008年5月}}。また「しるし」をあらわすギリシア語「セーメイア」もヨハネのみ使う表現である。これら12章37節以前の「しるし」はそれ以降のものとも、他の共観福音書の描く「しるし」(奇跡)とも異なった性質を持ち、あくまでも信仰の結果の出来事となっている。このようなヨハネの独自性の一つの解釈として、ヨハネが初期のヘレニスト(ギリシア語を話すキリスト教徒たち)の間で保持されていた「奇跡を行うもの」、「魔術師」としてのイエスの姿をヘレニズム世界の人々に受け入れやすいように書き換えたということがあげられる{{要出典|date=2008年5月}}。