「エルンスト・ユンガー」の版間の差分

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=== 戦間期・ヴァイマール時代 ===
ユンガーは、ヴァイマール共和国時代、兵力10万人に制限された[[ドイツ国防軍]]に歩兵少尉として残り、[[カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル]]大尉の部隊で[[カップ一揆]]鎮圧に出動。白兵戦指揮の卓越さから次代のドイツ軍のための新しい歩兵操典の作成に加わる。そのまま軍に残っていたならば、第二次世界大戦期は陸軍少将か中将になっていたと言われる{{要出典|date=2010年11月}}(Hans Moeller.Die Geschichte der Ritter des Ordens Pour le merite im Weltkrieg.)も、1923年に軍を退官し、[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン|ミュンヘン大学]]で[[ハンス・ドリーシュ]]の下で哲学を学び、さらに動物学を専攻しナポリの動物研究所の研究員となる。1925年に[[ウィーン]]で出会ったグレータ・フォン・ヤインゼンと結婚し、二人の子を得た。
 
1920年代半ばから、[[鉄兜団]]の青年将校用の機関紙別冊の「軍旗」紙編集に携わったのを皮切りに、義勇軍[[エアハルト海兵旅団|エアハルト旅団]]や[[コンスル (テロ組織)|コンスル]]などの機関紙の編集に従事すると共に数多くの論考を載せ、若い世代の[[保守革命]]、革命的ナショナリズムの思想的指導者とされ、[[ヴォルフ・ディーター・ミューラー]]からは「ドイツ魂の最高司令部」と評された。