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{{出典の明記|date=2011年2月}}
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 後藤信康
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| 特記事項 =
}}
'''後藤 信康'''(ごとう のぶやす)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]の[[武将]]。[[陸奥国|陸奥]]・[[出羽国|出羽]]の[[戦国大名]]である[[伊達氏]]の家臣。
 
== 経歴 ==
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跡取りの居なかった後藤信家の養嗣子となって後藤氏の家督を相続し、[[天正]]10年([[1582年]])には[[伊達輝宗]]に従って[[相馬義胤 (十六代当主)|相馬義胤]]との合戦に出陣し、武功を挙げている。
 
天正13年([[1585年]])5月、前年に家督を相続した[[伊達政宗|政宗]]が、突如[[蘆名氏]]との同盟を破棄して会津に侵攻する([[関柴合戦]])。この時、政宗より[[耶麻郡]][[桧原城]]主に任ぜられて以後4年間同地の守備に就き、桧原在番の間には、政宗の正室[[愛姫]]より慰労の品として[[打掛]]を賜った。天正17年([[1589年]])、政宗が[[摺上原の戦い]]で蘆名氏を破って会津を攻略すると、耶麻郡[[北方城 (陸奥国)|北方城]]主となる
 
天正17年([[1589年]])、政宗が[[摺上原の戦い]]で蘆名氏を破って会津を攻略すると、耶麻郡[[北方城 (陸奥国)|北方城]]主となる。
天正19年([[1591年]])、政宗が前年の[[奥州仕置]]で耶麻郡を没収されたため、[[亘理郡]][[坂元城]]主に異動となる。同年の[[葛西大崎一揆]]鎮圧戦では、[[佐沼城]]攻めにおいて活躍し、翌[[文禄]]元年([[1592年]])からの[[朝鮮出兵]]においても政宗に従って渡海した。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では[[白石城]]攻略戦で活躍し、同年[[栗原郡]][[宮沢城]]主となり、慶長7年([[1602年]])には[[桃生郡]]大森城主となって2,500石を知行した。
 
天正19年([[1591年]])、政宗が前年の[[奥州仕置]]で耶麻郡を没収されたため、[[亘理郡]][[坂元城]]主に異動となる。同年の[[葛西大崎一揆]]鎮圧戦では、[[佐沼城]]攻めにおいて活躍し、翌[[文禄]]元年([[1592年]])からの[[朝鮮出兵]]においても政宗に従って渡海した。[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では[[白石城]]攻略戦で活躍し、同年[[栗原郡]][[宮沢城]]主となり、慶長7年([[1602年]])には[[桃生郡]]大森城主となって2,500石を知行した。
ところが、慶長10年([[1605年]])に政宗の勘気を蒙り突如として改易される。改易の理由として、軍法違反を犯した(葛西大崎一揆の際の[[宮崎城 (陸奥国)|宮崎城]]攻めでの抜け駆け)ためであるという説が有るが、これは十年以上も前のことである上に、この話自体に他の史料的な裏付けが無いことから、『小牛田町史』ではこの説を否定している。信康の最期に関する説話が多く生み出された背景には、この一件の原因がはっきりしないところにあるとも考えられる。慶長16年([[1611年]])にようやく赦免されて復帰し、[[江刺郡]]三照に500石を与えられた。
 
翌[[文禄]]元年([[1592年]])からの[[文禄・慶長の役|朝鮮出兵]]においては政宗に従って渡海した。
 
[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では[[白石城]]攻略戦で活躍し、同年[[栗原郡]][[宮沢城]]主となった。慶長7年([[1602年]])には[[桃生郡]]大森城主となって2,500石を知行した。
 
ところが、慶長10年([[1605年]])に政宗の勘気を蒙り突如として改易される。改易の理由として、軍法違反を犯した(葛西大崎一揆の際の[[宮崎城 (陸奥国)|宮崎城]]攻めでの抜け駆け)ためであるという説が有るが、これは十年以上も前のことである上に、この話自体に他の史料的な裏付けが無いことから、『小牛田町史』ではこの説を否定している。信康の最期に関する説話が多く生み出された背景には、この一件の原因がはっきりしないところにあるとも考えられる。慶長16年([[1611年]])にようやく赦免されて復帰し、[[江刺郡]]三照に500石を与えられた
 
慶長16年([[1611年]])にようやく赦免されて復帰し、[[江刺郡]]三照に500石を与えられた。
 
慶長19年([[1614年]])8月8日、死去。享年59。嫡男・[[後藤近元|近元]]が家督を相続した。
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== 参考文献 ==
*『小牛田町史』上巻(宮城県遠田郡小牛田町、1970)
* 歴史群像編集部編『戦国時代人物事典』(学習研究社、2009年) ISBN 4054042902
**「後藤信康」の項目(伊達宗弘執筆)
 
== 関連項目 ==