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'''平安神宮放火事件'''(へいあんじんぐうほうかじけん)とは、[[1976年]]
[[新左翼 (日本)|新左翼]]活動家[[加藤三郎 (新左翼)|加藤三郎]]が起こした事件である。
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== 標的の来歴 ==
{{main|平安神宮}}
[[平安神宮]]は
加藤は
== 事件の準備 ==
加藤は
== 事件の概要 ==
1976年1月6日午前3時35分頃、平安神宮内拝殿から火の手が上がった。[[京都市消防局]]は
平安神宮は
その後、加藤は平安神宮の近くにあった[[京都会館]]と[[京都市美術館]]に犯行声明の電話を
続いて[[2月11日]]に、加藤は「世界赤軍日本人部隊・闇の土蜘蛛」名義の犯行声明文を新聞社に郵送した。犯行声明文には「桓武朝廷軍による蝦夷征伐を継承する天皇制日本帝国に対して宣戦布告する」旨が記されていた。しかし、何日
加藤は「[[反皇室闘争|反天皇制闘争]]」を黙殺して葬り去ろうとする「天皇制日本国家の陰謀」に対して、ますます敵対意識を強め、黙殺できないくらいの大きな事件、「爆弾闘争」へと傾斜していった。
== 参考文献 ==
* 『'''京都新聞'''』1976年1月6日号外、1月6日夕刊
* 加藤三郎『'''意見書 <small>「大地の豚」からあなたへ</small>'''』思想の科学社、1992年
== 関連項目 ==
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