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'''井上 喜一'''(いのうえ きいち、本名
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[兵庫県]][[加西市]]玉丘町出身。[[兵庫県立小野高等学校]]
=== 官界 ===
=== 政界 ===
[[1986年]]7月、[[第38回衆議院議員総選挙]]に[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で[[兵庫県第3区_(中選挙区)|旧兵庫3区]]から出馬し、初当選。[[改革フォーラム21|羽田派]]に所属し、[[1993年]]の[[宮澤内閣改造内閣|宮澤改造内閣]][[不信任決議]]では賛成票を投じる。内閣不信任決議案を可決された[[宮澤喜一]]首相は[[衆議院]]を解散し、自民党を離党した[[羽田孜]]・[[小沢一郎]]らが[[新生党]]を結党。井上も新生党結党に参画した。[[細川内閣]]、[[羽田内閣]]を経て、非自民連立政権はわずか10ヶ月で幕を閉じ、[[新生党]]は[[公明党]]や[[民社党]]、[[日本新党]]を糾合し[[新進党]]が結党される。[[1996年]]、[[小選挙区比例代表並立制]]導入後初めて実施された[[第41回衆議院議員総選挙]]では[[兵庫県第4区]]から出馬し、4選。
新進党解党後、井上は[[小沢一郎]]党首が率いる[[自由党_(日本 1998-2003)]]に参加した。[[1999年]]、自由党は与党に加わり[[自自連立政権]]の[[小渕内閣_(第1次改造)|小渕改造内閣]]を樹立するが、[[2000年]]4月、自由党は連立政権からの離脱を決定。これに反発した井上や[[海部俊樹]]元首相、[[二階俊博]]、[[野田毅]]、[[小池百合子]]らは袂を分かち、[[保守新党|保守党]]を結党。井上は同党政務調査会長に就任する。[[2002年]]、[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]を離党した[[熊谷弘]]元[[内閣官房長官]]や[[山谷えり子]]が保守党に加わり、新たに[[保守新党]]を結成する<ref>山谷は[[比例区]]選出であり、形式的に新党を結成しなければ保守党に参加できなかったため。</ref>。井上は保守新党政務調査会長に就任。
[[2003年]][[9月22日]]、[[第1次小泉第2次改造内閣|第1次小泉政権の内閣改造]]にともない、内閣府特命担当大臣(防災担当)として初入閣を果たす。なお、[[国務大臣]]としての担当事項として「事態対処法制の整備を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当した。[[第2次小泉内閣|第2次小泉政権]]でも、内閣府特命担当大臣(防災担当)として再度入閣を果たすとともに、「事態対処法制の整備を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当した。▼
▲[[2003年]]
[[2003年]]11月の[[第43回衆議院議員総選挙]]で、保守新党は11人の候補を擁立するも、当選者は井上を含む4人に留まる大敗を喫し、党首の熊谷弘も落選。選挙後、保守新党は解党して自民党に合流し、井上は10年ぶりに自民党に復党した。復党後、保守新党幹事長だった二階俊博が会長を務める[[新しい波_(派閥)|二階派]]に所属。
[[第45回衆議院議員総選挙]]に兵庫4区から出馬するも、[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]新人の[[高橋昭一]]に敗れ、[[比例復活]]もできず、落選した。
|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003679263.shtml▼
|title=元防災・有事法制担当相、井上喜一氏が死去 ▼
|publisher=[[神戸新聞]]▼
|date=2010-12-16▼
|accessdate=2010-12-16▼
}}</ref>。▼
== 政治活動 ==
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: [[内閣官房長官]]の[[細田博之]]は、同日の記者会見で「(殺害事件は)重く重く受けとめるべき問題。誤解のあるようなことを言うのは適当ではない。訂正すべきだ」と批判し、井上に「誤解は解いてほしい」と電話で注意したことを明らかにした。これに対し井上は、「間違ったことを言っているとは思っていない。官房長官には迷惑を掛けたが、謝罪をすることは考えていない」、と細田の申し出を拒否。細田は7日の記者会見でも、「(井上防災相に)十分注意をしたので、ご自分で対応することに期待したい」と自主的解決を求めたことを明らかにした。
: [[6月8日]]、[[内閣総理大臣]]の[[小泉純一郎]]は、あらためて閣僚懇談会の席で重要法案の処理にあたって、「発言には十分注意してほしい」、と全閣僚に対し注意を促す指示を出した。「放火は女性の犯罪」と述べて批判を浴びた[[財務大臣]]の[[谷垣禎一]]は十分な配慮を欠いていたと反省の弁を述べたが、井上は発言撤回拒否の姿勢を変えなかった<ref>「井上内閣府特命担当大臣記者会見要旨」『[http://www5.cao.go.jp/minister/kako_kaiken/inoue/2004/0608kaiken.html 井上内閣府特命担当大臣記者会見要旨]』[[内閣府]]、[[2004年]][[6月8日]]。</ref>。しかし、[[6月10日]]の[[参議院]]有事法制特別委員会で、民主党の[[斎藤勁]]が発言を採り上げて防災相を引責辞任するよう要求し、発言の撤回を求めたのに対し、「事件とは関係ない。一般論として申し上げた」と述べて撤回を拒んだため委員会審議が紛糾し、45分間審議を中断。審議が再開されて、「誤解を招いたことを遺憾に思う。発言を撤回する」と答弁した。
▲2010年12月16日、[[肺炎]]のため加西市内の病院で死去した。78歳没<ref>{{cite news
▲|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003679263.shtml
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▲}}</ref>。
== 栄典 ==
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