「新山勝利」の版間の差分

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1992年、ただひとり残った「ザ・シューター」として活躍していたところを、[[ザ・シーク]]によって試合中にマスクを剥がされる。しかしこの時は大流血のうえ、「どうやら日本でもデビューしたことのない選手」と一部マスコミが書いた以外は、誰もその正体を分からずじまいであった。同年5月24日のFMW[[有明コロシアム]]大会より、突如として[[ペイントレスラー]]「ザ・グレート・パンク」に転身、ギター破壊のパフォーマンスや、腰を振りながらの[[ジャーマン・スープレックス]]などで、没個性からの脱却をアピール。このキャラクターでしばらく活動を続けた後、今度は出直しを図るべく素顔に戻り、初めて本名をリングネームとした。FMWにおいては常に、正規軍のバイプレーヤー的な存在だった。
 
FMW退団後、妻の故郷である[[愛知県]][[刈谷市]]で飲食店を開き、店を仕切る傍らトレーニングも欠かさないという生活を送るが、業績等は芳しくなく、かった。そして[[テレビ東京]]のバラエティー「[[愛の貧乏脱出大作戦]]」に<!-- 応募し←とはしてみたものの、応募が新山自身によるものか、それとも妻によるものか忘れた -->出演。レスラーを完全に辞めて飲食店の経営に専念する覚悟で、[[力士]]出身者が営む[[ちゃんこ鍋|ちゃんこ]]屋での修業に挑み、んだ。これを経たのち、飲食店を「新山(しんざん)」という名に改め、ちゃんこ専門店としてリニューアルオープンした。
 
しかしながらその後も、[[フリーランス]]として様々なインディー団体にスポット参戦を続けた。2009年には、「[[FNS26時間テレビ (2009年)|FNSの日26時間テレビ 2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!]]」の企画・「三輪車12時間耐久レース」に、家族と[[東海テレビ放送|東海テレビ]]代表として出場、まだプロレスラーとして現役であることをアピールした。