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[[Image:Jean Ier de Hainaut.png|thumb|エノー伯ジャン2世]]
'''ジャン2世'''(John II,[[1247年]] - [[1304年]][[8月22日]])は[[エノー伯]](在位:[[1280年]] - 1304年)。後に母の縁で[[ホラント伯]]、[[ゼーラント伯]]領も獲得した(在位:[[1299年]] - 1304年)。父はエノー伯[[ジャン1世 (エノー伯)|ジャン1世]]、母はホラント伯[[フロリス4世 (ホラント伯)|フロリス4世]]の娘アーデルハイト。
 
[[1257年]]に父が死去したが、祖母の[[フランドル伯|フランドル女伯]][[マルグリット2世 (フランドル女伯)|マルグリット2世]]が復位した為、[[1280年]]の祖母の死によってエノー伯を継承した。[[1299年]]、[[いとこ|従甥]]のホラント伯[[ヤン1世 (ホラント伯)|ヤン1世]]が子の無いまま没したので、ホラント伯も手に入れた。
 
叔父のフランドル伯[[ギー (フランドル伯)|ギー・ド・ダンピエール|ギー]]に対抗する為、[[フランス王国|フランス]]王[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の援助を求めた。フィリップ4世もこれに応え、[[1300年]]にギーを捕らえ、フランスに併合した。ジャン2世も勢力を伸ばし、[[1301年]]に弟のギーを[[ユトレヒト]][[司教]]に立てた。
 
しかし、フランドル市民が反抗、[[金拍車の戦い]]でフランス軍を打ち破られ、長男のジャンを失った。更に[[ブラバント公]][[ジャン2世 (ブラバント公)|ジャン2世]]に攻め込まれ、ホラント、ゼーラントの殆どを奪い取られてしまった。そして[[1304年]]に捕虜になり、[[ヴァランシエンヌ]]に連れて行かれ、失意の内に亡くなった。後に3男の[[ギヨーム1世 (エノー伯)|ギヨーム]]が奪回、[[1323年]]に領有を認められた。