「中目黒」の版間の差分

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「プチ代官山化」はいくらなんでも事典の記述としておかしすぎる
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駅前は[[再開発]]が進行中で、上目黒二丁目地区に[[中目黒ゲートタウン]]が2002年4月にオープンした。中目黒ゲートタウンはタワー棟(120m・地上25階建)、ハイツ棟(地上15階建)、テラス棟(地上6階建)の3棟で構成されている。また、同じく中目黒駅前の上目黒一丁目地区も再開発が行われ、2009年には地上45階建のビルであるアトラスタワー中目黒を中心に、再開発街区「[[ナカメアルカス]]」が完成した。
 
駅周辺は飲食店・[[パチンコ|パチンコ店]]などが多く、夜は多くの客で賑わう。山手通り沿いは、マンション・中堅企業のオフィスが混在するほか、近年は飲食店の進出も多い。有名店や人気店もあり、周辺地区に[[芸能事務所]]が多いため、芸能人の姿もよく目撃される。駅周辺のガード下も下町の風情がある飲み屋街であったが、2008年より中目黒駅改良工事と高架橋の耐震補強工事が始まったため、全て閉店した。
 
山手通りから離れると、比較的静かな住宅街である。住宅台地上は、諏訪山を中心とする高級住宅地で、古くはフランキー堺をはじめ芸能人ミュージシャンなど台地上に、住んでいた。その麓のもともと、元は水田、のちに中小工場地帯であとなったところ地域、いわゆる中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多い。また、もともと軍用地であった東山一帯は官舎、団地が多い。賃貸住宅の家賃は、区内の他地区に比べ若干高いといわれる。これは後述する交通の便の良さが一因と考えられている。
 
防衛庁(当時)移転計画に基づき[[港区 (東京都)|港区]][[六本木]]の[[檜町駐屯地]]にあった[[防衛庁]]本庁舎が[[市ヶ谷駐屯地]]に移転するあおりを受け、[[統合幕僚学校]]及び陸海空[[幹部学校]]は[[防衛省目黒地区|目黒基地]]へ移駐。
 
山手通りに沿って[[目黒川]]が流れている。川沿い特に中目黒から[[池尻大橋駅]]にかけてには桜並木が整備されており、桜の季節には多くの人で賑わう。近年、川沿いにはカフェ・ファッション・雑貨などの店が増加している。店は比較的小規模ながら、オーナーや店長が若く野心的であり、個性的な店が多かったが、[[代官山]]からの回遊性のために、近年はプチ代官山化しと似た傾向になりつつある。店舗となる物件の少なさ故、家賃が高騰し、徐々に体力のある企業による出店が増えている。
 
駅前では[[蛇崩川]]が目黒川とほぼ直角に合流する。蛇崩川は[[暗渠]]になっており川は見えない。合流地点は広場となっている。
 
もともと、竹の子の一大産地であった碑文谷地区とともに都市近郊農村であったが、代官山(青葉台)を流れていた[[三田用水]]や目黒川での水車による精米製粉業、染色業、その後、三田用水を工業用水とする硝煙製造、ビール製造(のちのエビスビール)などを手はじめに中小工業地帯となった。その後、現東急電鉄による東横線の住宅地としてのブランド戦略が功を奏し、人気の高い住宅地として開発され現在に至る。
 
[[ダイエー]]がかつて1964年に東京で3店を初出店した際に、その3店舗のうちの一つ中目黒店で、現在の駒沢通りと山手通りの交差点の北側に立地していた。
 
== 地名の由来 ==
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[[中目黒駅]]を通る鉄道は[[東急東横線]]および[[東京地下鉄日比谷線|地下鉄日比谷線]]である。東横線経由では[[渋谷駅|渋谷]]および[[横浜駅|横浜]]方面、日比谷線経由では[[六本木駅|六本木]]・[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ヶ関]]・[[銀座駅|銀座]]方面へ、短時間かつ乗り換えなしで行くことができ、極めて交通の便が良い。また山手通り、駒沢通りとも東急バスの路線もある。
 
道路は山手通り([[東京都道317号環状六号線|環状六号線]])と[[東京都道416号古川橋二子玉川線|駒沢通り]]が交差する地点にあり、自動車での移動の便も良い。また将来は山手通りの地下を[[首都高速中央環状線]]の品川線が通る予定であるただし中目黒地域に出入口を設置する計画はない
 
== 外部リンク ==