「有吉道夫」の版間の差分

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宅銅鑼 (会話 | 投稿記録)
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そして迎えた[[2008年]]度の第67期順位戦C級2組最終局([[2009年]][[3月10日]])は、負ければ3勝7敗で降級点累積3点となり、規定により[[引退#将棋|引退]]の可能性大という戦いとなった<ref>C級2組に在籍する棋士に3度目の降級点がついた場合、[[順位戦#フリークラス|フリークラス]]に陥落することになるが、有吉の73歳(当時)という年齢はフリークラスの定年を超えるため即引退を意味していた。降級点の付く棋士は<!-- 67期では -->8名(内4名は最終局を前に決定していた)で、有吉の成績は最終局開始前の段階で下から10番目の成績。このため、有吉が負けても降級点が付くかは確定しない微妙な情勢(有吉より成績が悪く、かつ、降級点が付くことが決まっていない5名のうち2名以上が勝つと有吉は引退)であった。結果的にはこの5名全てが負けたため、有吉は負けていたとしても引退は決定していなかった。</ref>。一方、有吉の対局相手は、自身が勝てば昇級という新鋭の[[高崎一生]]であったため、この一番は大いに注目され、対局場所の[[将棋会館#関西将棋会館|関西将棋会館]]には数多くの報道陣が集まった。結果は有吉の勝ち。対局後のインタビューでは「将棋そのものが好きだし、面白い」と、現役続行の意欲を語った。有吉の将棋への情熱に対し、[[谷川浩司]]は「棋士室で若手棋士と研究会に励む姿は、これからも多くのメッセージを与える事でしょう」とコメントを残している。
 
しかし、翌2009年度(第68期)のC級2組順位戦では序盤から苦戦が続き、9回戦の[[松本介]]との対局に破れて、最終局を待たずにC級2組からの降級及び引退が決まった(最終成績は2勝8敗)。[[日本将棋連盟]]による当初の発表では、引退の日付は2010年3月31日とされていたが、[[2010年]][[2月23日]]、NHK杯戦予選を3連勝で通過し、本戦出場を決める。これを受けて、2日後の2月25日、連盟は引退規定の変更を発表し、最終対局日(テレビ棋戦の場合は放映日)まで引退そのものも延長することとした(''[[棋士 (将棋)#引退]]''、''[[引退#将棋]]'' も参照 )。なお、74歳でのNHK杯本戦出場は[[丸田祐三]]の73歳を凌ぐ史上最高齢記録となった。また、3月24日には棋王戦予選3回戦で[[村田智弘]]を破り、棋王戦でも現役を続行出来るようになった。
 
2010年3月2日、第23期竜王戦5組昇級者決定戦・[[浦野真彦]]七段との対局で、2手続けて指す反則(二手指し)を犯して敗れた。通算999敗目となったこの敗戦の総手数は、わずか17手だった。なお、二手指しはプロの公式棋戦では、二歩に次いで2番目に多く発生している反則である<ref>[[将棋#反則または禁じ手]]を参照</ref>。