「世界貿易センター爆破事件」の版間の差分

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Yhnfhd (会話 | 投稿記録)
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ユースフは[[ニュージャージー州]]に住居をもち、[[ニューヨーク]]やニュージャージーを旅していた。その後、刑務所の電話を使って、[[イスラーム過激派]]の礼拝導師、[[オマル・アブドゥル=ラフマーン]]と会話している。ユースフはアブー・バッラから爆弾のマニュアルを再び入手した。彼は共犯者の手を借り、化学物質を混合して爆弾を作り始めた。その後、交通事故に遭い入院していたが、警察に押収されていた車からマニュアルを取り戻している。
 
[[エル・サイード・ノサイル]]は、アブドゥル=ラフマーンの一味であり、のちに爆破事件に関係したとして有罪を宣告されたが、[[1991年]]に起きたアメリカ系[[ユダヤ人]]の[[ラビ]]で、極右政党「カハ」の党首[[メイアー・カハネ]]の殺害に関わったとして逮捕された。同じく爆破事件で有罪を宣告されたマフムード・アブー・ハリマは、ワディーフ・エル=ハッジにカハネの狙撃に使われたライフル銃を調達するように指示した。ノサイルは殺人については無罪になったが、銃を用意したとして有罪になった。彼の住んでいたアパートにはテロ計画に関係する爆弾作製のマニュアルや文書が多く見つかったが、その時は[[アラビア語]]から[[英語]]に翻訳されることはなかった。
 
ユースフは、(盗んだのか借りたのかはわからないが)爆破に使う車としてバンを入手した。バンには8 m³の空間があり、1000 kgの爆発物を積むことができたが、ユースフには資金がなくそれほどの爆弾は製造されなかった。もし、もっと多くの資金があったなら、更に多くの爆弾が製造されトラックに積まれていた可能性がある。