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'''小西惟冲'''(こにし いちゅう、[[1769年]][[11月4日]]-[[1854年]][[3月14日]])[[江戸時代]]後期の儒者。名は善継または修。字は伯述。澹斎とも号する。
 
==生涯==
[[播磨国]]・[[龍野藩]](現在の[[兵庫県]])につかえる。大坂の[[懐徳堂]]で[[中井竹山]]などに学ぶ。[[江戸]]に帰り文化2年([[1805年]])、[[藩校]][[敬楽館]]の設立に関わり教授となり、藩の読書指南役や[[朝鮮通信使]]来聘御用掛をつとめる。文政年間([[1818年]])以降、中井竹山の構想を活かした[[社倉]]制度を龍野で実現させる。
 
著作に『大日本編年史』などがある。
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*『龍野市史』(編纂専門委員会,1980年)
*山中浩之「竜野藩社倉の実施と小西惟冲」 (加地伸行博士古稀記念論集『中国学の十字路』、研文出版、2006年)
 
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