「積みわら」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
from en:Haystacks (Monet) (03:44, 18 January 2011 (UTC)) モネの超有名作品 |
書誌情報を追加。脚注をハーバード方式に変更。 |
||
27行目:
== 作者モネ ==
{{main|クロード・モネ}}
モネは1883年にジヴェルニーに住まいを移し、それ以来死去する40年あまりに描かれた絵画の多くは、自宅から3キロメートル以内の風景を描いたもので、『積みわら』も自宅のすぐそばの情景を描いている<ref>[[#Tucker1989|Tucker 1989]], p.87.</ref>。モネは季節ごとに移り変わる自宅周辺の絵画的な風景に魅せられていた。
モネはそれまでにも雰囲気は異なるが、同じような風景画を描いていた。しかしながら画家としてのキャリアを積むうちに、「空気の描写」は描かれた対象への詩的効果として表現されるだけではなく、彩色の調和と豊かな色彩の使用へとつながっていった<ref>[[#House1986|House 1986]],
== 積みわら ==
干し草の山をモチーフに描かれた『積みわら』の作品群は「わらの山 (''haystacks'' )」とも「穀物の山 (''grainstacks'' )<ref>''grainstacks'' は脱穀後のいわゆる藁の山ではなく、まだ実がついた脱穀前の穀物の山を意味する</ref>」とも呼ばれる<ref>[[#Gerdts1993|Gerdts 1993]], p.17.</ref>。4.5メートルから6メートル程度に積みあげられた山は、フランス[[オート=ノルマンディー地域圏|ノルマンディー地方]]の田園都市における美と豊穣を象徴する光景だった。
これら積みわらは、穀物の茎と実がより分離しやすくするために乾燥させる期間の貯蔵庫としての機能を持っていた<ref name=MiN143>[[#Lemonedes2006|Lemonedes 2006]], p.
モネは自宅近くを散歩中に積みわらの存在に興味を抱き、一緒に散歩していた義娘のブランシュ・オシュデに2枚のキャンバスを持ってきてくれるように頼んだ。積みわらを描くキャンバスは曇天用、晴天用それぞれに1枚ずつで十分だと考えていたためである<ref>[[#Kelder1980|Kelder 1980]], p.183.</ref>。しかしながらモネは、積みわらが見せる様々な表情を絵画に表現するには1枚や2枚のキャンバスでは足りないことに気付き、すぐにアシスタントに手押し車に積めるだけのキャンバスを運んでこさせたといわれている<ref>このエピソードの正確性は疑問視されている。
:“「『積みわら』を描き始めたときには、他の風景を描いた作品と同様に、曇天用と晴天用の2枚で事足りると思っていた。積みわらを描いた作品は当時すでに何点か仕上げてもいた
:こうしてモネは『積みわら』の連作を開始することとなった。モネが同じモチーフを異なる環境下で繰り返し描くことは以前からよくあった
モネは多くの「積みわら」を描いた。初期に描いた[[風景画]]にも背景の一部として描かれており(『ウィルデンシュタイン作品番号』900番 - 995番、1073番)、1888年の収穫期の積みわらを主題とした5枚の絵画も残している(『ウィルデンシュタイン作品番号』1213番 - 1217番)<ref>[[#Tucker1989|Tucker 1989]], p.31.</ref>。しかしながら、連作『積みわら』として現在広く知られているのは、1890年の収穫期を描いた25点のみである(『ウィルデンシュタイン作品番号』1266番 - 1290番)。しかしながらこれら25点以外にもときによって『積みわら』と見なされる作品も存在する。例えばヒルステッド美術館は所蔵する2点の作品のうち1890年の収穫期を描いた作品は当然として、1888年の収穫期を描いた作品も『積みわら』に含まれると考えている<ref name=HSM/>。
『積みわら』の連作は、モネが何度も描いた、時刻、季節、天候など自然要因の変化が主題に及ぼす効果を描き分けた最初の作品群の一つである。モネにとってこのような作品群の制作は1889年のクルーズの渓谷を描いた10点あまりの作品に始まっており<ref>印象派を後援したフランス人画商ジョルジュ・プティ ([[:en:Georges Petit]]) のギャラリーに展示された。[[#Tucker1989|Tucker 1989]], p.41.</ref>、以降のキャリアにおいても同じモチーフを連続して描き続けた。
== 主題 ==
モチーフとして『積みわら』の連作に描かれているのはありふれた干草の山だが、連作の根本的な主題は移ろいゆく光といえる。季節、時刻、天候によって移り変わる光が作り出す微妙な差異が、モネに『積みわら』を連作として描かしめた。干草の山という同じモチーフは、光の変化がもたらす微妙な差異を描いたこの作品群の比較を容易なものとしている<ref>描いている風景の時制を常に正確にするために「モネは時々キャンバスの裏に時刻を書いた」 [[#House1986|House 1986]], p.143.</ref>。
『積みわら』の1作目は1890年の9月下旬か10月初旬に描かれ、モネはその後7ヶ月に渡って『積みわら』の連作を描き続けた。同じモチーフを、異なる光、天候、空気、雰囲気で大量に描いた画家はモネが初めてだといえる<ref name=MIN139/>。
52行目:
{{Quotation|
...早朝のセーヌ川の連作のために、モネは作品制作に夜明け前という時間を選んだ。それは「通常よりもシンプルな光の下で容易にモチーフを」描くためで、夜明け前の太陽光はそれほど急激には変化しないという理由があった。しかし午前3時半という起床時間は、いかにモネが早起きを日課にしていたとしても桁外れのものだったに違いない<ref>[[#House1986|House 1986]], p.143</ref>。
}}
早朝から時間が過ぎ光の具合が変化すると、モネは今まで描いていたキャンバスから次の時間を描くための別のキャンバスへと交換したと考えられる。刻一刻と変化する光のわずかな違いを表現するために、1日に10枚から12枚もの制作を同時進行することもあった<ref>モネは1893年3月の妻のアリスに宛てた手紙で、ルーアンで一日に14枚の作品を描いていると書いている。 [[#House1986|House 1986]], p.144.</ref>。このような製作過程は天候と絵の進捗状況に左右され、完成までには数日間から数週間、ときには数ヶ月間にわたって繰り返された。そして季節が変わると、製作過程もまた最初から始められた。
自然光が与える効果にはわずか数分間しか続かないものもあり、そのような効果を表現する絵画の中には一日に数分間しか描くことが出来ないものもあった<ref>1883年にフランスの象徴主義詩人[[ジュール・ラフォルグ]]は、印象派の絵画は15分間の自然の移り変わりを表現していると言ったことがある。モネは自身のポプラ並木の連作を例にして8分間が限界だと述べ、1918年には光の効果が続くのは「最大でも3分間から4分間のことすらある」と語った。 [[#House1986|House 1986]], p.142.</ref>。さらに複雑な問題として、例えば日の出からの太陽光は即座に変化するため、『積みわら』の連作の中でも特別な制作過程が必要だったと考えられている<ref>常に変化する天候は、作品の完成を遅らせる最大の要因だった。 [[#House1986|House 1986]],
多くの著名な画家たちが『積みわら』の影響を受けており、[[フォーヴィスム]]を代表する画家である[[アンドレ・ドラン|ドラン]]や[[モーリス・ド・ヴラマンク|ヴラマンク]]たちも例外ではない<ref>{{cite web|url=http://www.impressionist-art-gallery.com/monet_haystacks.html|accessdate=2011-02-16|year=2011|publisher=Impressionist Art Gallery|title=Monet Haystacks}}</ref>。[[ワシリー・カンディンスキー|カンディンスキー]]の回想録には『積みわら』について「突然私に提示されたのは思いも寄らないほどの色彩の広がりだった。これまで理解することすらできず、私がひそかに考えていた絵画表現におけるとてつもない野望をはるかに凌駕するものだった」という記述がある<ref>Excerpts from Kandinsky's memoirs, page 53. [http://content.cdlib.org/xtf/view?docId=ft5v19n9xh&doc.view=content&chunk.id=d0e2244&toc.depth=1&anchor.id=0&brand=eschol CDlib.org] 2011年2月16日閲覧</ref>。
63行目:
[[File:1274 Grainstacks Snow Effect, Meules, effet de neige, 1890-91, 60 x 100cm, Oil on Canvas, Hill-Stead Museum, Farmington, CT.jpg|thumb|right|240px|『積みわら - 雪の効果』, 1890年 - 1891年, スコットランド国立美術館]]
『積みわら』の連作はモネに経済的な成功ももたらした<ref name="Tucker, p.77">[[#Tucker1989|Tucker 1989]], p.77.</ref>。連作のうち15点は1891年5月にフランスの画商デュラン=リュエル ([[:en:Paul Durand-Ruel]]) によって展示会が開催され、全ての作品が数日のうちに完売しており<ref name="Tucker, p.77"/>、一般大衆にも大好評だった。フランスの作家[[オクターヴ・ミルボー]]も『積みわら』を賞賛している。また、「積みわらは田園風景の顔」であり「これらの絵画を観るものが、田園地帯が今後工業地化あるいは市街地化するのとは無関係に、このような田園の伝統を守るべきだと考えることは間違いない」と書いたものもいた<ref name=MiN143/>。田園地帯を日々のさまざまな問題からの避難場所と考え、自然と十分に触れ合える故郷であると表現したのである。印象派のフランス人画家[[カミーユ・ピサロ]]も「『積みわら』は幸福感を漂わせている」と語っている<ref name=MiN143/>。
ほとんどの『積みわら』が即座に最大1,000フランで買い手がついた<ref>展示会開催前にデュラン=リュエルは展示する15点の『積みわら』のうち8点を購入している。さらにモネ自身が既に売却することが決まっていた絵が2点あった。つまり展示会開催時点で15点の作品のうち10点はすでに買い手が決まっていた。残りの5点のみが、展示会を訪れ作品に興味を示した顧客が購入することが出来たのである [[#Tucker1989|Tucker 1989]], p.98.</ref>。その後モネの作品の価格はさらに暴騰し始めた。その結果モネはジヴェルニーでの家と暮らしを完全に手にすることができ、現在も観光地として名高い「睡蓮の池」の制作を手がけることができるようになった。数年間に及ぶ耐乏生活から解放され、成功者のひとりなったのである。
『積みわら』はモネが追求した光と空気の表現の象徴であり、自身の芸術表現において完全論者であったことを証明している。モネは何かが欠けていると感じた連作の作品群を少なくとも一つ以上破棄している。モネが不完全で不出来であると見なした作品を破棄したことは、多くの顧客の証言がある。1903年から1909年にかけて描かれたロンドンの風景の連作と睡蓮の連作の多くが破棄されたと考えられている。これらの連作の展示会を予定していたデュラン=リュエルにモネは「自身の満足感のために30点以上の作品を破棄した」として展示会を延期させた<ref>[[#House1986|House
== 1890年から1891年の作品 ==
90行目:
== 1888年 - 1889年の作品 ==
モネは1888年の収穫期に、セーヌ川左岸沿いの丘陵と右手にジヴェルニーの家々を背景にした二つの積みわらを描いた作品を3点制作した(『ウィルデンシュタイン作品番号』1213番 - 1215番)。そして同じ場所から視点を左に移した、丘を覆うポプラ並木の風景画を2点描いている(『ウィルデンシュタイン作品番号』1216番 - 1217番)<ref>[[#Forge1989|Forge
<gallery>
102行目:
== 出典 ==
*{{Cite book|author=Forge, Andrew
*
*{{Cite book|last=Heinrich
*
*
*{{Cite book|author=Lemonedes, Heather
*{{Cite book|last=Sagner
*
*{{Cite book|last=Tucker
*
*Published on the occasion of the Exhibition {{Cite book|year=1978|title=Monet'
== 外部リンク ==
|