「露崎元弥」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目:
しかしその一方で、人気が集まる露崎に対する他の審判員からの評判は芳しくなく、そしてアクションばかり優先され肝心なジャッジが疎かだということで様々な形で[[イジメ]]が行われた。[[1977年]]には、一軍出場機会が減り、同年球界を去った。(ちなみに氏が去った当時49歳という若さだった。)
 
奇人と思われていたが、ファンに対する物腰は丁寧で、ナイトゲームの後などは1時間以上も少年ファン達にサインを行ったため、[[午前様]]になることも度々だったそうである。
 
また、オーバーアクションを行うために、[[パ・リーグ]]で初めて[[インサイドプロテクター]]を使用した審判員でもある。