「村木賢吉」の版間の差分

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転勤先の[[三菱マテリアル]][[直島]]製錬所に勤務中、同じ職場で直島出身の[[佐義達雄]]と意気投合。
 
[[1972年]]、槇島人の芸名で「土方渡世の唄」を出すが一部に注目されるだけで終わった。だが、同年に佐義の作詞作曲、村木の唄で、演歌「'''おやじの海'''」を500枚自主制作。「おやじの海」は6年後[[北海道]][[釧路市]]で[[有線放送]]から人気に火が付き、数か月でヒットは全国に広がり、[[1979年]]の大ヒット曲となった。
 
47歳の新人歌手は各方面から注目を浴び、140万枚<ref>[[長田暁二]]『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、286頁。ISBN 4390116495</ref>以上のセールスを記録した。[[全日本有線放送大賞]]最優秀新人賞を受賞。佐義も[[日本作詞大賞]]大衆賞を受賞。1979年の[[第21回日本レコード大賞]]では企画賞を受賞(大賞は[[ジュディ・オング]]の「[[魅せられて (ジュディ・オングの曲)|魅せられて]]」)。[[銀座音楽祭]]に出場。しかし[[NHK紅白歌合戦]]への出場はならなかった。
 
[[1998年]]、直島町文化協会から[[直島町]]への寄贈でつつじ荘に「おやじの海」の碑が建てられた。