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[[File:Alms house rochford.jpg|thumb|right|200px|[[エセックス]]州[[:en:Rochford|Rochford]]の救貧院を描いた[[1787年]]の絵。]]
[[File:Alms House, Woburn.JPG|thumb|200px|right|[[ベッドフォードシャー]]州[[:en:Woburn, Bedfordshire|Woburn]], の救貧院。]]
'''救貧院'''(きゅうひんいん、{{lang-en|almshouse}})は、(典型的には、高齢で働けず、家賃を支払えなくなった者など)入居対象となる社会的弱者が特定の[[地域社会]]に住み続けることを可能にするために、[[チャリティー|慈善団体]]によって提供される住居。特定地域の貧窮者を対象とするもののほか、何らかの形でかつて同じ雇用関係にあった者や、寡婦などを対象とするものがあり、一般的には慈善団体なり[[信託|トラスト(信託団体)]]によって維持されている。
 
'''救貧院'''(アルムスハウス)は、特に[[イギリス]]で発達した制度であるが、日本語では同じく「救貧院」と訳される[[救貧院 (ワークハウス)]]([[:en:Workhouse|workhouse]])、[[救貧院 (プアハウス)]]([[:en:Poorhouse|poorhouse]])とは異なり、働けない者を収容することが前提となっているため、労役場、[[授産施設]]としての性格は持っていない。
 
== 歴史 ==
'''救貧院'''はヨーロッパのキリスト教に基づく制度のひとつであり、「アルムス」({{lang-en|alms}})とは、貧困者を助けるために寄せられる献金や奉仕のことである。[[イギリス]]では、10世紀から'''救貧院'''が存在し、貧しく、高齢で、困窮した人々に住居を提供していた。記録に残された[[イングランド]]で最初の'''救貧院'''は、10世紀前半の国王[[アゼルスタン (イングランド王)|アゼルスタン]]によって[[ヨーク (イングランド)|ヨーク]]に設けられたもので、現存する最古のものは[[ウィンチェスター (イングランド)|ウィンチェスター]]の [[:en:Hospital of St Cross|Hospital of St. Cross]] で、1130年代まで歴史を遡ることができる<ref>{{Cite book |last=Hopewell|first=Peter|year=1995|title=Saint Cross: England's Oldest Almshouse|publisher=Phillimore & Co.|location=Chichester|pages= |isbn=978-0850339659}}</ref>。
 
[[中世]]には、ヨーロッパの病院の多くが、'''救貧院'''としての機能を果たしていた。イギリスでも病院と'''救貧院'''は分化しておらず、しばしば[[修道院]]に付設されて存在していた<ref>{{Cite book|last-Clay|first=Rotha Mary|year=1909|title=The Medieval Hospitals of England|pu|blisher=methuen & Co.|location=London|pages=}}</ref><ref>{{cite journal|last-Furniss|first=D.A.|title=The monastic contribution to mediaeval medical care: Aspects of an earlier welfare state|year=1968|month=April|journal=the Journal of the Royal College of General Practitioners|volume=15|issue=4|url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2236411/|accessdate=2011-2-23}}</ref>。
[[中世]]には、ヨーロッパの病院の多くが、'''救貧院'''としての機能を果たしていた。
 
== 現状 ==
[[File:Alms House, Woburn.JPG|thumb|200px|right|[[ベッドフォードシャー]]州[[:en:Woburn, Bedfordshire|Woburn]], の救貧院。]]
'''救貧院'''は、10世紀以来、今日に至るまで設置され続けている。'''救貧院'''と、他の形態の[[シェルター]]住宅を厳密に区別する基準はないが、一般的に'''救貧院'''には慈善団体としての性格があり、居住者の自立した生活が続けられるよう支援するという目的がある。
 
'''救貧院'''の施設は、その歴史的な背景もあって、何軒もの小さな[[テラスハウス]](長屋)や[[アパート]]から成る古い建物にあることが多く、比較的少数の居住者しか収容できない。イギリスでは現在も2,600の'''救貧院'''があり、提供するおよそ30,000戸の住居には36,000人が住んでいる。[[オランダ]]では、数多くの「ホフィエ ([[:en:hofje|hofje]])」(「中庭」の意)と称される'''救貧院'''に相当する施設が、高齢者(おもに女性)の住居として機能している。'''救貧院'''は、経済学的には家賃補助対象住宅の供給として位置づけられ、さらに管理人などは社会福祉資源と見なされる。近代的な(教会に依存しない)'''救貧院'''や、労役場としての性格を持った[[救貧院 (ワークハウス)]]は、[[1597年]]に施行されたイングランド最初の[[救貧法]]によって登場することになった。こうした施設は、居住者の性格、支援内容、名称などが様々な変化を重ねて来たが、[[1900年]]当時には、居住者の85パーセントが高齢者になっていたとされている<ref>{{Cite book |last=Day|first=Phyllis J.|year=2008|title=New History of Social Welfare, A (6th Edition)|publisher=Pearson|location=Boston|pages= 149-157|isbnurl=978http://www.historyfish.net/clay/clay_hospitals_ten.html|accessgate=2011-2-020562415723}}</ref>。
 
== 出典・脚注 ==
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{{commonscat|Almshouses}}
*[http://www.almshouses.org/ The Almshouse Association]
*[http://www.historyfish.net/monastics/List_houses_A-B.html List of English Almshouses associated with monastic institutions.] (From Public Domain text, English Monastic Life.')
*[http://www.historyfish.net/clay/clay_hospitals.html Medieval Hospitals (Almshouses) of England, by Rotha Mary Clay.] (Public Domain text, including daily life, care, and the 'Office at the Seclusion of a Leper'.)
 
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