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[[1986年]]1月、新日本プロレスに再来日(同年には8月末にも来日している)。それまで何度も再来日が予定されるが実現しなかったこともあり、待望の再来日として注目されたが、過剰なパフォーマンスが受け入れられず、期待外れなどと評された(当時の関係者の間では、もっと早い段階で再来日させるべきだったという声が多く聞かれた)。
 
[[1987年]]、今度はスーパースターの立場でWWFと再契約。角材と[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]をトレードマークにした[[ブルーカラー]]の[[愛国心|愛国者]][[ギミック (プロレス)|ギミック]]でブレイクを果たす。[[1988年]]1月24日、[[ロイヤルランブル]]の第1回大会で優勝。[[1991年]]3月30日には[[SWS]]の[[東京ドーム]]大会に来日し、[[桜田一男|ケンドー・ナガサキ]]と対戦している。WWFには[[1993年]]まで在籍し、[[コシロ・バジリ|アイアン・シーク]]、[[ニコライ・ボルコフ]]、[[ディノ・ブラボー]]、[[サージェント・スローター]]、[[ロドニー・アノアイ|ヨコズナ]]など[[反米]]ヒールとの抗争や、キングの座を巡る[[ハーリー・レイス]]や[[キング・ハク|ハク]]との王位争奪戦などで人気を集めた。また、スローターの[[WWE王座|WWF世界ヘビー級王座]]をはじめ、[[ランディ・サベージ]]、[[ウェイン・ファリス|ホンキー・トンク・マン]]、[[リック・ルード]]、[[ショーン・マイケルズ]]らの[[WWE・インターコンチネンタル王座|インターコンチネンタル王座]]など、ヒール王者が保持するタイトルに再三挑戦しているが、ベルト奪取の機会には恵まれなかった。
 
[[1994年]]、[[WCW]]に移籍。[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン|"スタニング" スティーブ・オースチン]]をわずか25秒で破って[[WCW・ユナイテッドステイツ王座|US王座]]を獲得(同年12月に[[レオン・ホワイト|ベイダー]]に破れ王座陥落)。[[1998年]]には腎臓癌のためしばらくフェードアウトすることになったが、[[2000年]]2月16日にゴミ箱からベルトを発見し空位となっていたTV王座を獲得。同日に[[ロバート・ギブソン (プロレスラー)|ロバート・ギブソン]]と対戦し初防衛した(同王座は同年4月10日に廃止)。
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[[2005年]]に[[WWE]]復帰。主に前座試合で会場を温める役割を務め、前座でありながら観客からは絶大な声援を受けていた。[[2009年]]にWWEを解雇されてからは、各地のインディー団体にゲスト出場している。以後もWWEとの関係は良好で、[[2010年]]11月15日には "Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版の[[WWE・ロウ|RAW]]に出演した。
 
[[2011年]]今年の[[WWE殿堂]]に殿堂入りす迎えられることが発表された。
 
== 得意技 ==