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Bright Long (会話 | 投稿記録)
東京帝国大学と改称するのは1897(明治30)年から。1889(明治22)年大日本帝国憲法が発布されて、大日本帝国と改称したことを受けて
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安政5年([[1858年]])2月、[[越後長岡藩]](現[[新潟県]][[長岡市]]、合併前は新潟県[[三島郡 (新潟県)|三島郡]][[越路町]])にある[[真宗大谷派]]の[[慈光寺]]に生まれる。父は円悟、母はイク。
 
16歳で[[新潟県立長岡高等学校|長岡洋学校]]に入学、[[洋学]]を学ぶ。[[明治]]10年([[1877年]])、京都・[[東本願寺]]の教師学校に入学。翌年、東本願寺の国内留学生に選ばれて上京し、[[第一高等学校 (旧制) |東京大学予備門]]入学。その後[[東京帝国大学]]に入学し、文学部哲学科に進んだ。
 
明治18年([[1885年]])に同大学を卒業し、著述活動を開始する。中野にみずからが建設した哲学堂(現、中野区立[[哲学堂公園]])を拠点として、全国を講演してまわる。遊説先の[[満州]][[大連市|大連]]において62歳で急死するまで、哲学や宗教についての知識をつたえるとともに、[[迷信]]の打破をめざして活動した。